昭和の風林史(昭和四七年九月十四日掲載分)

夢のない相場 手亡に期待する

手亡に対する期待は小豆が不人気になればなるほど強くなるというケッタイな因果関係にある。

「とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな 汀女」

小豆のほうは相場に芯がないから、止まった格好をしても、それがたとえ買い線に見えても、また安い。

新安値を付けるたびに思うのは、この期に及んで―ということである。

たしかに現物事情は、需要期といえば春先にかけての高いところを掴んでいるため、それが消化出来んことには新穀のほうまで手が回らない。

高値での買いと、これからの安い新穀とを平均してつぶせばよいと思うのは素人考えだろうか。

それにしても相場は大根時の大根、出回り最盛期を控えて先安が予想されるだけに、安い新穀をかうにもつい手控えられ、仮需要がつかない。

一方手亡の相場は、小豆が不人気であればあるほど、こちらのほうに期待が強まる。

一仕事できると言う考え方が根を張っている。ひと仕事とは玉締めや、買い占めの事で、それは商取法違反の価格操作などと難しい事をいわず、毛糸も乾繭も、言ってみれば動く相場は、みんな価格操作であるから、手亡が買い占めで高ければ提灯がつくし、なお高ければ輸入を刺激する。

ここに来て手亡の線型も足が軽くなり、いずれも買い線になっている。

お陰さまで六限月。この六限月になったことが穀取業界救いの神になるだろう。

手に汗握るという相場ではないが、なんとかお茶を濁すぐらいのことは出来ると思う。

かつては商品業界の花形といわれた穀取業界である。それがいま、開所20周年記念を前にして、なんとも情けない低調さ。

言ってみれば昨年のあの小豆の高値がなにもかも影響している。輸入を刺激したし、生産者は作付け面積を大幅に増やした。

そして今年みたいに天候が順調だったことも本当に珍しい。

どのような年でも、一度や二度は、必ずなにかあるのだ。本年は、あまりにも淡々と、事件なしで来すぎた。

だから、どたん場になってなにかあると期待を最後の五分につなぐ人もいるが、なにかあったとしても鎌入れ不足ぐらいではなかろうか。夢のない相場である。

●編集部注
この時の商品市場が低調で夢のないというのなら。今はどうなるのか。

白金の取組高が十万枚を超えたと話題だが、はたして、増えた玉は投機目的の買いと、両建て目的の売りのどちらが多いのだろうか。

【昭和四七年九月十三日小豆二月限大阪七八六〇円・一八〇円安/東京七八五〇円・二〇〇円安】