昭和の風林史(昭和四七年二月九日掲載分)

戻り天井か?押し目買い場か

踏みも相当出た。強気がふえた。買い方の目標値にも近い。反落の要因が目につく。戻り天井か。

「ふるひよせて白魚崩れんばかりなり 漱石」

だいたい決まった顔ぶれの手口の交叉である。大衆の、ほとんど介入していない、現物関係筋などのクロウト専門家と小豆相場のマニアだけによる相場になっている。

大衆投機家は、人絹相場に走り、そして目下は毛糸相場に集中している。専業大手取引員は毛糸の大商いで活気を呈している。大阪では富士、北辰など毛糸市場で大当たりして、お客さんは随分儲けたという話だ。

専業大手取引員は各地とも穀物相場を避けて通る方針で、たとえば東穀におけるそれら有力業者の一月における小豆の出来高はエース交易が四十六枚。山佐が六十七枚。ミツワが二百七枚。西王が四百六十九枚。富士は千三十五枚である。

しかし、これらの店は繊維相場のほうではたえず出来高ベスト・テンにはいっている。従って東繊取、大阪化繊、あるいは前・豊両乾繭取引所は専業大手取引員による大衆投機家の介入で常に活発な商いが見られる。

小豆は大衆に、全く敬遠されてしまったのであろうか。大衆は値段が大きく動く商品に集まる。その限りでは小豆ほど荒い動きは他にないのであるが近寄ろうとしない。
なぜであるか?その理由は明白である。①取引所の運営の仕方がこれまで常に不手ぎわであった②相場が一部特定の仕手によって翻弄されやすい③商品相場の〝悪〟の代名詞にされてしまった。

われわれは時に小豆相場はインチキだと思うこともあるけれど、常にインチキだとはと思わない。小豆には他商品に見られぬ小豆相場の、たまらない魅力があるし、愛着がある。要は小豆が悪いのではなく運営の仕方がまずいのである。

さて踏み上げで、やや熱狂気味の相場が七千円接近に伴い警戒感が強まった。これで天井を打ったものかどうかは腕力が通用する時代だけに、なんとも言えないが、強気がふえただけに相場としては、いいところに来ている。

どれだけ下げるかはもとより予測出来ないが、気分としては、押し目買いになるのではなかろうか。

●編集部注
 東京支社は人形町にある。そのお隣が富沢町。ここは江戸時代、古着屋さんが集まっていた。

 そのお隣が馬喰町。現代の服飾や繊維の問屋が集まる街。大阪なら船場に近い。

 このあたりの糸問屋さんの中には、この時の糸相場で儲けて、品川に大邸宅を構えている方もいらっしゃるのだという。

【昭和四七年二月八日小豆七月限大阪七〇円高/東京二〇円高】