昭和の風林史(昭和四七年五月十八日掲載分)

売りのままで 値の崩れを待つ

相場の力が抜けつつある。一万一千円割れである。上値に二本出現した暴落線が効力を発揮する。

「軒浅き夕あかりに糸取女 虚子」

商いが糸のように細っている。実感のともなうような上値目標値段も、また、下値目標も聞かれない。

季節は風も光も緑に染まり、薫風楡の大樹をよぎる。

すでに取引員店頭には北海道の天気と気温が記入されているけれど、播種→発芽までには今一刻の間があり、交易会は終了せるも、およそ小一万㌧成約の数字は相場に織り込み、成約数字を基(もと)に高下する場面は終わった。

あらたに売らず、強烈に買わずの各節は〝静〟にもどった。

人々は、ここでなにを思い、なにを考えるか。

そうである。これからの大局だ。小豆相場に対する根本姿勢とでもいうべきか。

私は、天候相場に賭ける買い一貫で行く。

それもよろしい。私は需給の緩和を重視する。天候は五分と五分。いや、本年は平年作と見る。売り一貫でで勝負する。

それも可なり。

相場の強弱は自由。

静(せい)なること林の如く、動かざること山のごとし。それもまた相場である。

線型は静なる中にあって下落を示している。

明らかに悪型である。暴落線二本。これが必ずひびいてくる相場である。

人々は暴落が現実となって、あらためて知る。いかにこの相場が重いものであるかを―。

天候相場とは高いばかりではない。順気、順気で値が消えることもある。

輸入品は、だぶつくし、府県産は増反で、作柄も非常によろしいとなれば大量在庫をかかえて、穀物出回り期を前にすれば、いかなる買い方も気が持てない。しかも伏兵の如くコロンビア小豆が輸入されてくる。

十月限は輸入小豆の最終的ヘッジ限月となるし、五月、六月の消費量に期待すべきものがないだけに、理想買いのとがめは、およそ必至である。

聞けば、北京商談でも、日本側に買う気さえあれば、中国は売り応ずる小豆を保有しているそうで、定期の一万二千円には、ガッチリと制御装置が設置されているようなものだ。

およそ一万一千円割れという場面。あるだろうし、あるべきだ。品物が欲しくて買っている買い方ではない。成り行き上、買っているだけである。

●編集部注
 罫線は手書きに限る。小豆相場にはもう一つ、気温の罫線が存在する。

 よく書かされたなぁ。

【昭和四七年五月十七日小豆十月限大阪一万一二九〇円・一九〇円安/東京一万一二三〇円・二七〇円安】