昭和の風林史(昭和四七年八月二十九日掲載分)

産地暴落納会 アク抜けなるや

八月も納会が終わった。産地当限の大暴落という印象的な納会である。これでアクが抜けたか。

「乗換の駅しづかなり秋の蝉 松太郎」

産地小豆の当限納会は松亀穀物のお客さんが、当初受ける計画であったものを、予定が崩れたため三千六百二十円と暴落した。

せっかく相場が直りかけていた時だけに、産地当限のこの納会は、消費地市場の旧穀

限月にショックを与えた。やはり、ヒネ限月は救いようがないのか―と。

この際、悪いものは悪い―で、悪さを、なにもかもさらけ出してしまうことは、ある面では灰汁(あく)抜けになる。

その意味では、産地の当限納会、いままで、なにかひっかかっていたような感じであったものが、ドサッと、たまっていた大灰汁を抜いたように感じられた。

新穀限月のほうは、さすが値段が堅い。下げて八千五百円。やはり、とどいた値段であるように思える。

産地の小豆の生産者は、仮りに百八十万俵収穫の豊作であろうと、反当たり(10アール当たり)平年作で一俵六千五百円ないし七千円のコストになる。俵あたり二千円の純益を見込むと八千五百円ないし九千円。

生産者の希望としては一俵一万円で売りたいところであるが、相場商品だけに最悪八千五百円も、いたしかたないところ。

定期相場の八千五百円が頑強なのも、生産者のギリギリのコストが抵抗帯になっているからである。

それを、市場人気で、豊作、豊作と売り込めば、結果的に豊作に売りなしという相場になりかねない。

小豆に相場の魅力が薄ければ、手亡のほうに投機資金が流れ込んでよいはずが、その手亡がピービーンズ輸入などで、もう一ツ投機対象にならない。

ピービーンズは二百四十七㌦の輸入価格とか伝わる出血輸入だ。定期市場を操作して輸入採算の辻褄を合わすことだろうから熱狂して高値を買い思惑するという場面はまず考えられない。

小豆も、手亡も、いうなら国際商品として、価格の革命期に直面している。しかも、そこに豊作が重なった。

われわれは、そのことを前々から知っていたし、予測はしていたが、やはり実際に直面してみて、いろいろととまどうのである。

●編集部注
買い方には、青天の霹靂であったと推測する。
 
当時の風林火山はロジックの強い人である。値動きに動揺している心情を、文中でハッキリと綴るのは結構珍しい。

裏返せば相場の転換点が近いという事である。

【昭和四七年八月二八日小豆一月限大阪八七七〇円・一二〇円安/東京八七八〇円・一二〇円安】