昭和の風林史(昭和四七年八月十日掲載分)

売り攻勢烈し 無残也買い陣営

七千円台におちた小豆でも投げねばならない。それが相場である。反発の手掛かりがつかめいない。

新穀限月の九千円割れに続いて、当限がついに八千円を割ってしまった。

七千円台の小豆といえば、現在の二千五百円の格差をひくと東京小豆や韓国小豆では五千五百円以下のものとなる。なんともひどいものだ。去年十月初め、小豆相場が二万円乗せをしていたころの東北小豆の現物が一万七千円もしていた。三分の一の値段だ。「余り物に値なし」の言葉通りといえよう。

買い方の辛抱も、もはや限界を通り越したようである。残された道は病虫害、猛台風、早霜という奇蹟を一縷のたよりとして玉砕するまで頑張るか、それとも「あに朕が志…」ならずとも買い玉をきって無条件降服するかのほかはないところ。

まさに買い方、インパール街道敗走す―というべきだろう。

それに対して売り方にとっては、毎日々々が楽しくてたまらぬところであろうと想像できる。

下げたところを利食っては売り直し、また買っては売り直す。小幅ながら何度も回転を利かしているので相場とはこんな面白いものかという心境だろう。

さて、今年の道産小豆が平年以上と予想すれば、作付け面積から考えて百五十万俵以上のものとなる。内地産と合わすれば、ほぼ国産小豆だけで充分需要をまかなえるだけある。

このことは長期的、大勢的に考えた場合、当業界には結構なことだ。というのは、このところ毎年のように供給難から市場維持が困難あるいは場合によっては上場廃止の場面もあった。

それが予想通りの収穫があればすくなくとも数年は輸入小豆にふりまわされることもなく、本来の上場銘柄である北海道小豆を中心とした相場の展開が期待されるからである。

気休めにすぎないが現在の買い方の苦しみは正常な相場の形成に戻る過渡期の苦しみである。

今はどれほど安くても翌月受渡しが保証できぬクズ豆がまかり通っているから金はあっても現受けもできない。二等小豆ばかりの受け渡しというようになってくれば、またどこからともなく有力な仕手が出て市場を賑わすのは必定と思う。

今は完敗の買い方も捲土重来のチャンスは今後いくらでもあるはず。

 ●編集部注
 新規仕切りを問わず、人は皆、大底で売り込みたくはないものである。

 こういう時は逡巡する時間がもったいないからさっさと動いた方が良い。 ただ、この処置で往復ビンタになる事が怖い。

 そして結局、動けずに玉砕して終わる。

【昭和四七年八月九日小豆一月限大阪八九一〇円・一〇〇円安/東京八九二〇円・一二〇円安】