昭和の風林史(昭和四七年六月二十四日掲載分)

のらりと戻し くらりと下げる

よろしい。また売りである。先日の安値を割ってしまうだろう。言っちゃ悪いが戻しただけ悪い。

「紫の斑(ふ)の仏めく著莪(しゃが)の花 虚子」

反発したあと、なお強いと、考え方が変わってくるもので、三百円戻しが五、七百円。そしてつい身びいきになって千円高もあるだろう―ということになる。いわゆるそれが人気というものだ。

相場は人気の逆を行くことぐらい相場する人たちにとって百も線も承知であるけれど、やはりその気になって、つい手が出る。

買っちゃいかんよ、この戻した小豆は。

長い下げ相場を体験してきているから、つい相場を大きく見がちだ。しかしこの小豆は、乗せ乗せ、行け行け、ゴーゴーが利かないキメの細かい性格になっている。

はっきり申せば、戻したから、この相場の下げが、また先にのびよう。

感心しない。悪い。売り直しである。

先日の安値、あれは底入れなどというものではない。ぬらりと戻しただけに終わった。ぬらりの次はくらりと下げる。そういう相場である。

下げてきてどうか、先日の安値を、あっさりと割って、なお安い。そうなるはずだ。買い屋の顔が、ほころびかけたが、またデスクに肘(ひじ)をつき、ひたいを手で支えなければならない。

なにが相場をそうさせるか。

戻すところにきて戻した相場は、戻りを終われば規定に従って下げることにになっている。

相場の材料などというものは、あとからつけるものである。あとからつけた材料を正直に受け取って買えばどうなるか。買い気が続いているあいだは値を支えるが、取り組みが重くなって、咲いた花の散る如く、また安い。

先限で六百円あたりがあるだろうと目先巧者は買ってみた。買いました、上がりました、グングン伸びています、はいりましたホームランです、やりましたね、低目の玉を…などというのは野球の放送だけで、買いました、飛びつきました、安いです安いです。駄目でしたね―というのが世間一般の相場の社会だ。

先限の九千五百円。大局的には八千円。十一月限一代で、その値はあろう。買って引かされたら、もう逃げ場はない。甲斐のない買いだ。売って引かされるのが楽しみである相場の仕方である。

小豆はまた売りになった。

●編集部注
 誰も皆、わかっている。しかし悲しき哉、決めきれず、動けないのだ。

 特にのたくり相場では臨機応変な対応が求められる。しかし、相場を張らずについ意地を張る。

 相場修行は人間修行とはよく言ったものだ。

【昭和四七年六月二三日小豆十一月限大阪一万〇四八〇円・一六〇円高/東京一万〇四五〇円・一三〇円高】