昭和の風林史(昭和四七年六月十六日掲載分)

再び崩れ型に 売り一貫でよい

手亡を画策しようとする動きが東西にあるが高いところ売りだ。小豆も戻しただけ悪くなった。

「桑の実を口のうつろに落す音 虚子」

買い方はツイていないなと、つくづく思ったのは15日、川上地方の山沿いで軽い降霜があった。しかし被害は軽微だという。

ツイていないというのはこの日(15日)北海道市場は休会である。もし相場が立っていたら、消費地市場より先に立つ北海道の相場がワッときていただろうと思う。つられて消費地相場も高寄りしたのではないか。

勝負事には運・不運が常についてまわる。四斗樽いっぱいの才能よりも盃いっぱいの幸運という。つく、つかないはどこにあるかと申せば、それは天にあって、人の力ではどうにもならない。

北海道の小豆の作柄は、出足から順調である。霜が降り、雹が降り、そしてまた霜があったが、決定的ではなかった。その間にも成育は進んでいる。これで土用にガンと照りつければ大増反、大豊作の声が充満しよう。

ひるがえって市場人気のほうはどうかというと不思議なほど強気が多い。なぜだろう?。恐らく①値ごろ観②天候相場③営業方針―によるものであろう。

ところで東京でも大阪でも手亡で仕事をしようとする動きがある。

クロウト筋は小豆の高値掴みになって、この玉をほどくために、手亡を画策するのである。

だが、手亡もお客筋はベタ買いである。高ければ先に利食われてしまうし、少しでも〝仕事〟しそうだと判れば、懐ろで買われている大衆筋の玉が、一度に場ざらしされようから、納会ギリギリになって当限を締める手しかない。

としても、果たして踏み玉がどれほどあろうか。

手亡の先限六千六百円、七百円、八、九百円どころは鈴なりのベタ買いである。よほど強烈な買い材料が出るとか、強引な買い仕手が買い占めに出るとかしなければ七千二、三百円などという夢みたいな値段は付かないのである。

小豆も精一杯の戻りであった。なまじ反発しただけ、この相場の重さというか悪さを人々に知らしめたと思う。

もうあと二百円、上がると思った。その二百円が買えないで、だれてくる。
買っている人は、もとより歯がゆい相場であるが売っている側こそ、もっと戻して欲しいと願っているのである。シャンと腰がのびたところを、叩き売ったれと思っているのだが。

●編集部注
相場は売り方、買い方双方の夢の喰い合いだ。 

困るのは、自分が夢を喰った側か、喰われた側かがすぐに判らない所。

【昭和四七年六月十五日小豆十一月限大阪一万〇九三〇円・二〇円高/東京一万〇八九〇円・一九〇円高】