昭和の風林史(昭和四七年六月十日掲載分)

抜けた底売れ 茫茫漠漠の下げ

来週は壮絶な崩しがはいりそうだ。ここから崩れるのである。それが相場である。底抜けを売れ。

「なんばんに白雲乗りいて暑し 阿火」

新穀だからと六月新ポの生まれを買った十一月限は、いいところなしで千円棒がはいってしまった。

いかなる買い方も〝天〟には勝てない。産地は雨が欲しい時に雨が降り、今年は久しぶりで作柄にツキがまわってきたようだ。

こうなってくると市場の人気も、早や豊作気分で、阿波座の巧者筋は「先限の一万円割れ、八、九、十月限の九千円そこそこ」を言うようになった。

とにかく、ぎっしりと高値を買われた取り組みである。取り組みのみを重視するのであれば、もちろん成り行き売りである。

だが、この値段は、とても売りにくいようだ。売りにくいから売らないでいると値段はずんずん下がっていく。買い方は、たまったものではない。

筆者は、ズドーンと〝長陰線〟で、ぶち込んでくる安値にきての崩れがあるまでは、売りにくいけれど売っていくのが、最も安全な方法だと思う。

売り方は、勝負ならここのところを叩き割って一気に崩す。それが戦術であり、テクニックで、崩せば投げが必ず殺到する。

値ごろ観の買いものや、長期思惑の買いなどはチーンと黙ってしまって、手が出なくなるのだ。

現品は売れないわ、輸入在庫は増大するわ、天候よろしい。作柄上々。そして取り組みはどうにもならぬ悪さ。

相場がそれらの現象に、いちいち反応を示し、従順なほど、いうことを聞いている。ともすれば買い方は、悪材織り込みなどと気休めを申されるが、御冗談を、弱り目にたたり目、泣きっ面(つら)に蜂。織り込めど、織り込めど軟材続出せんでは、続落していくしかないのである。

とりあえず七月限の八千八百円。八月限も、そのあたり。九限、十限で九千二、三百円。十一月限の一万二百円あたり。

あると見ざるを得ない状況で、早ければ来週月曜あたりから、丼鉢浮いた浮いた、すててこしゃんしゃんである。

威儀を正して書けば―。その下げまさに八カ月におよぶも天は味方せず、入船陸続とあいつぎ、この期におよんで、なおも下げんとす。ああ買い方いかなる因果か、壮絶なる崩し、いま目前に迫らんとす。われすでに値ごろ観なく、ただ地獄の底まで売るのみ。

●編集部注

この記事の掲載日の翌日、田中角栄が『日本列島改造論』を発表。後にこの政策綱領は出版化、大ベストセラーとなる。

【昭和四七年六月九日小豆十一月限大阪一万〇七七〇円・五七〇円安/東京一万〇六九〇円・五七〇円安】