昭和の風林史(昭和四七年十一月二十九日掲載分)

醒めて悲しや ムードの衝動買い

小豆の一万円はいうならムードによる衝動買いである。衝動買いには反省がつきものである。

「寄せ鍋や打ち込みし妓のうす情 草城」

限月が一本消える。そしてまた一本生まれる。消えた限月は半年前に登場して、高い安いで苦労させたものだ。生まれる限月は六カ月向こうを目指して夢と希望を担っている。先物市場の納会と新ポは、まるで人生のお葬式と誕生みたいなものだ。

もう師走。

十二月の当限納会は普段の月と違って早いから、なんとも焦燥感がつきまとう。そして大納会。一目散に突っ込んでいく。

師走相場は人々の焦燥が、そのまま表(おもて)に出てくるような気がする。冬ざれやコロロと鳴ける檻の鶴(秋桜子)。

小豆相場は、どういう年末になるだろうか。

去年は十月七日の大天井から十一月四日まで天空からまっ黒な棒鋼が落ちてくるような六千円崩しをして十二月も肩下がり、そして大発会から一月十二日の一万三千円割れまで凄かった。その下げ八千五百丁。

全国市場の買い方は一様な沈痛な年の暮れであり新春だった。

その相場が一月十二日から生まれ変わったように二月十二日まで四千丁の急反騰。そして四月二十五日の一万円割れまで、また七千丁を崩したのである。

ドラマはまだ続いている。悲喜劇を織りなして。いや、いつまでも続く。

限月は消え、また生まれ。人は栄え、また沈み、あるいは消え、そして参集する。

あすはどうあれ、きょうはきょうの相場。

高値を出せば刺激されて品物は消費地に集中する。物がたまれば、仮需要は消極的になる。市場の人気は当然白ける。

興(きょう)のさめたお座敷は芸者も寄り付かない。呑んで騒いで酔って、ワッとやればこそ人気が人気を酔わせて一万円の相場でも安く見えるが、場面変わって酔いもさめ、白けきってしまえば、なにがあんなに面白かったのかと苦々しい。

小豆相場は高値をムードで買いついた。品物が欲しくて買ったのではない。いうなら〝衝動買い〟である。人気は感情の集合体である。人気は相場の花である。ムードで狂い咲いた花なら散るのも早い。

衝動買いには反省がついてまわる。

小豆相場は戻り売り。九千円を割るだろう。

●編集部注
 バブル相場は、皆が浮かれポンチになるからバブルになるのだといえる。

 なにせうぞ、くすんで、一期は夢よ、ただ狂へ。

 買い方は「たわけになりて買うべし」を知る人も知らぬ人も結果的に実践。どの相場も、何故か負け組の方が冷静である。

【昭和四七年十一月二八日小豆四月限大阪九六六〇円・一〇円高/東京九六七〇円・七〇円高】