昭和の風林史(昭和四七年十一月二十五日掲載分)

天井している 戻り売りでよい

小豆は天井したように思う。当分は押し目買い人気が続こうし、逆襲もしようが戻り売りでよい。

「石崖の大石に蔦枯れ渡り 虚子」

博多は、みぞれまじりの冷たい風が吹いていた。西田の川本常務、中井の副島伊三郎氏、いつもとお変わりなく元気。ゼネラルの真玉氏のところから豊栄を回って双葉商事。豊栄の社内は意外に明るい。北村氏が奮闘している。夕方までに小倉に出て、次の日の朝、北九州の西田三郎商店の中村氏と逢う。その足で下関に渡り金山常務のお見舞いにあがろうと予定していたところ、この日早朝、金山氏は九州大学付属病院で手術するため、下関から福岡へ移っていた。下関の取引所はなんとなく裏枯れた感じがした。ナカトラの中島謙社長と大西商店の吉岡専務の明るい顔を見て帰阪。

福岡も北九州も下関も懐かしいところであるが、来るたびに、なにか空洞が出来ているように思う。その空洞を歳末のにおいのする冷たい風が吹き抜けていく。

小豆相場のほうは『先に安いところを出して明春から立ち直りという見方をしていたが、逆に高値を出したため、あと安の懸念が濃くなった』(西田北九州・中村太蔵氏)。『もうこの水準からの強気は出来ない。案外現物が消費地に集中するだろう。品物が集まれば〝白けた〟相場になろう』(ナカトラ中島社長)。

手亡に人気が来て、末期的な感じがしたが、休日明け24日の相場は台湾小豆の成約を材料に三晶の売りも目立って、久しぶりで反落した。

品物が無くて高いのではない。品物は幾らでもある。ただ一時的にカスレているだけである。

水が高きより低きに流れるが如く、現物も有るところから無いところに移動する。しかも取り組み内部要因が安値の売り玉が踏み、高値を買いついた。

当分は、押し目買い人気が続こうが、相場は天井している。

上げ相場は終了した。

戻り売りでよい。ただ当限だけは、品薄を狙って強引に煽れば納会にかけて注文をつけることも出来ようし、手亡を陽動する事も出来るが、先が見えているように思う。

若い相場の時なら力で言うことをきかせるが、日数の経過に伴って、腕力ではどうにもならない時がくるのが相場である。

●編集部注
 相場は上昇と下落、天井と底で循環する。

 相場心理は、悲観から懐疑と来て、楽観から歓喜で天底をつけ、再度悲観を味わい一周りする。

 長らくこの昭和の文章を読んでいると、おぼろげながら周期性が見える。

 この文章、まだ行間に余裕がある。悲観には至っていない。こういう時の相場は決まって意地悪だ。

【昭和四七年十一月二四日小豆四月限大阪九八七〇円・二四〇円安/東京九八三〇円・二六〇円安】