昭和の風林史(昭和四七年十二月五日掲載分)

疲労の色濃し 噴き値売りの小豆

市場人気は依然強いが、その相場そのものは頭重さが感じられる。人気だけでは相場は上がらない。

「蕭条として石に日の入る枯野かな 蕪村」

強い相場を見ると、一万円以下は、やはり買っておかなければ―という気持ちになるようだが、一万二、三百円どころで伸び悩むと、調子のいいことを宣伝して買っても、所詮(しょせん)買い方は現物が欲しいわけではない。

きょうは在庫発表。十一月の急騰相場に刺激されて現物は産地から四、五百万俵出荷していると言われる。

ただ、おりからの需要期だけに、在庫となって〝たまらない〟から、定期用の現物が〝もたれ〟ないのかもしれない。

今月が過ぎれば不需要期。そして秋の交易会の成約小豆が入船する。
年内に、定期市場の人気を燃焼してしまえば、新春高期待人気の裏目が出て春から荷もたれ現象で安場をつくるかもしれない。

なんと言ったところで大豊作尻だ。

仮需要で支えているものの、日柄ですでに60日にならんとする相場である。
そして安値からの三割高。

やはり一万三百円どころは相場としての限界を感ぜずにはおられない。

市場では板崎仕手の存在を大きく買っている。栗田なきあと、その存在は確かに光ったものに違いないが、休みなしの活躍にはやはり不安が伴う。
彼が46年秋の小豆相場で主流派から一人離脱し、買い玉を始末した時、一連のグループは、きわめて厳しい言葉で彼を非難した。

しかし今思えば、その時彼が買い方本流から孤影悄然と行動を別にしたことが今日(こんにち)の彼を存在せしむるのである。

相場界は彼に期待するところが大きいから、過去の幾多の仕手の辿った経路を歩ませたくないと思っている。

相場界にとって有力仕手の健在は、その市場に、うるおいをもたらす。これを潰してはならない。過去にトムソン相場、増山相場、栗田相場と、商品界は大きな恩恵を受けてきているが、長続きする事はなかった。

存在と影響力があまり大きくなると、その仕手は破壊してしまう。これが相場社会の宿命である。それを思うと板崎氏の小豆相場への深入りは、人々をして杞憂せしめるのである。物事はほどほどがよいのである。

●編集部注
 ここに挙げられた相場で今も世に知られるのがトムソン相場か。ここのご本尊は金満家ではなく本物の相場師であった。

 何度も相場の表舞台に登場して奮戦。二年前、米寿で大往生を迎えた。

【昭和四七年十二月四日小豆五月限大阪一万〇〇三〇円・一六〇円安/東京一万〇一一〇円・一四〇円安】