昭和の風林史(昭和四七年十二月十五日掲載分)

見送りが賢明 年末大損は御免

年末に大損はしたくないと思う人は見送る。いや一丁やったろという元気な人は買えばよい。

「世を甘く見つづけ来たり木の葉髪 非文」

東穀の輸入大豆が連日ストップ高で、カラ売りしている投機家は手仕舞うに手仕舞われず、因果とあきらめなければならないようだ。

東京は風が強く寒さも厳しかった。風がきついからスモッグがぬぐい去られ高いビルから富士山が見える。神部茂氏の新東物産本社からもこのような日は富士山が見える。

富士山といえば石川丈山の「白扇倒懸東海の天」で結んだ七言絶句を思い出す。富士を詠じた詩は多いが、柴野栗山の「誰将東海水 濯出玉芙蓉 蟠地三州盡 挿天八葉重 雲霞蒸大麓…」が、際立っている。

相場のほうは小豆の減収予想が材料になって反発。手亡も予想数字が四十万俵を割るだろう―と急進した。

なんと言うのであろうか、小豆も手亡も掴みにくい相場である。

年末特有のクロウト向きの動きである。

そして毛糸市場のほうもやっている。二千二百円必至だ、いや二千三百円目標だ―と派手である。なにによらず相場は、にぎやかで陽気なのがよろしい。

そこでこの小豆と手亡であるが、小豆は一万五百円と九千五百円。この動きを九千円中心に水準を落として考えるが、それとも一万五百円中心に相場を考えるかであろう。

仕手の動きや筋店の作戦がどちらかというと上に持って行きたい時だ。あえて逆らうこともないが、さりとて、これに〝ちょうちん〟をつけても、判りやすく儲けさせてくれるかどうかだ。

手亡にしても九千円台乗せはあろうが、なんとなく、ついていきにくい場面で、やりにくい―というのが本音(ね)である。

年内の立ち合いも指折り数えて十二日間。ここが勝負どころ、乾坤一擲やったろか―で目の色変えるのもよかろうし、いやいやあわてることはない、すべては年を越してからだ―と腹を据えて腕を組むのも人各々考え方の違いであろう。

小豆は、安いところは買っておけ。買い玉がなかったら見送ればよい。手亡も高値を追っかけて買うのは面白くない。これも安ければ買っておけ―という場面のようである。

●編集部注
高くても、安くても、ストップは厳しい。

その時の勝者と冒険者以外は玉を動かす事が出来ない辛さと切なさは経験者にしかわからない。

【昭和四七年十二月十四日小豆五月限大阪九八三〇円・七〇円高/東京九八五〇円・変わらず】