昭和の風林史(昭和四七年十月二十一日掲載分)

まだ買えない 九千円近辺売り

久しぶりで東京を回っていたらどこの取引員も大活況で笑いが止まらないようだ。

「いつしかに老いづきし妻よ草紅葉 草城」

山梨の霜村昭平氏が50ウリ、50ウリとストップ高で火を噴いているゴム相場を豊商事につながる電話で売っていた。〝しょっぺい〟さんがゴムの相場に浮気しているようでは、穀物相場も当分閑だろう。ゴムはストップ安して、さっそく彼は利食いしたことだろう。

『風林が毛糸を書くようでは穀物も淋しいものだ』と熱気充満の川村商事でひやかされた。

どうです毛糸はS安したでしょう。次は再びゴムである。急落したゴム相場は買っておけばよい。あんまり大衆が買うものだから、一二の三でぶっ叩いた。いうなら〝流転の断面史〟で協栄物産が、一二の三で相場をぶっ潰したあれと同じようなものである。

それで小豆と手亡であるが、霜村社長は『八千五百円以下の小豆は長期方針で買い。下げても八千二、三百円と見る。上値は、いま九千円台には、やはり大豊作という圧迫があるため大きく見るわけにはいかないが、来年春には一万円相場は必至であろう。手亡の相場のほうはピービーンズの輸入は年内とても無理だし、五十万俵の手亡なんか三、四人の投機師が〝いたずら〟すれば八千円が八千五百円でも一万円でも付けて付けられないことはない。ピービーンズの格差三千円は、(納会で)渡ってきたら受けて、輸出してしまえばよい』。

カネツ貿易の若林氏は『毛糸や生糸の規制が厳しくなって、ゴムもだんだん規制されてくると結局は厖大な投機資金が穀物市場に回ってくる。お札の値打ちが下がっているのだから小豆にしろ手亡にしろ売ることを考えては駄目だ』―。

どこの店も活況である。山栄物産など大変な評判。毛糸で当てて当てて、うなるほどお客さんは大儲けだそうだ。店の中は狭くて身の動かしようがないほどである。山中国男氏の興和商事も、ぶったまげるほど儲かっているそうだ。山栄と興和の話がどこに行っても出ていた。評判のよい事はよいことである。

それでこの小豆だが八千五百円の抵抗は、もう一度高値九千円近くまで持って行って、クロウト筋の高値掴み玉が逃げてから下げるという段取りになっているようだ。

●編集部注
野球なら差し詰め張本や金田の活躍場面か。

当時の取引員の趨勢を知りたくて、鍋島高明氏の名著『マムシの本忠』を読み返してみた。

昭和四七年の売買高はトップが冨士商品で三四 七万枚もあった。二位が北辰商品で二三八万枚。その後に豊、協栄、カネツ、岡地と続いていく。

【昭和四七年十月二十日小豆三月限大阪八六三〇円・一〇円高/東京八六九〇円・三〇円高】