昭和の風林史(昭和四七年十月二十五日掲載分)

小豆売り一貫 産地出荷を刺激

小豆の強張ったところは売り上がって、こんなに判りやすい相場はない。逆に手亡は買い方針。

「郵便局出て更に濃き秋の暮 誓子」

田山の加藤美治部長は東亜同文書院を卒業して、いまルバング島で話題になっている陸軍中野学校に入った。『おや、あなたは小野田少尉を探しに行くのではなかったの?』。『私の友人は〝3マイナス3〟の中野学校の歌など吹き込み、ルバング島に行きましたが、私は相場のほうがいそがしくて』と、中野学校の〝第六列〟の歌詞を書いたメモをポケットから出して見せてくれた。筆者は、その歌が聞きたかったが、お酒がはいっていなければ加藤氏も歌いにくいだろうと思って遠慮した。

ところで三共生興の三木滝蔵氏が、ひそかに広州交易会に出席しているらしいという噂。三共生興に電話して確かめて書かないと、また三木将軍から厳しい電話がかかるかもしれない。『君は、なぜ確かめず書くのだ』―と。岡藤商事も二人分のベッドを確保し社員が出向いている。なんでも関東軍参謀本部出身の中国語が日本語より上手な人が岡藤にはいる。その部屋には中国大陸の大きな地図が張ってある。

目玉商品は生糸で、23日までの希望受け付け数量はなんでも二百万俵にのぼったとか。むこうは配給みたいなもので二万俵までの契約があれば上々。あとは北京商談―常時商談に希望をつなぐようだ。

小豆が契約出来そうにない―と、前場二節から急騰した。これは去年もそういうことがあったように思う。

出来ない→相場刺激→高い→契約成立→崩れる。

北海道が不作のときならいざ知らず、大豊作だ。

相場がここで高ければ、出盛り期に向かって産地出荷を刺激するばかりである。

しかも、大衆筋がベタに買いついている取り組みでは、おのずから上値にも限界がある。

小豆の九千円台は絶好の売り場である。

交易会の中国小豆にしても、高くなれば値段が折り合い、商談は進展するのである。

売り上がっていけばよいという、こんなに判りきった相場はない。

それよりも大手亡の相場のほうが、よほど上値に夢がある。手亡買いの小豆売りでよい。
なおゴム相場は買いだ。

●編集部注
 読む人が読むと相場の話が霞むほどのネタが、今回の記事に入っている。

 差し詰め商品版「不毛地帯」の世界だが、山崎豊子の小説がサンデー毎日に連載されるのは昭和四十八年なので、こちらの方がいささか早い。

 不毛地帯の主人公のモデルは、陸軍幼年学校から陸軍大学校までストレート。首席の証である恩賜の時計まで貰って大本営参謀にまで上り詰めた人物だが、今回の記事の登場人物も凄い経歴だ。

 先ず、東亜同文書院出身の人物が商品業界にいたという所が凄い。上海での青春時代はどのようなものであったのだろう。

 市川雷蔵の映画で広く世に知られた陸軍中野学校は、戦前日本のインテリジェンスオフィサー養成機関。簡単に言うとスパイ学校である。不毛地帯のモデルとは逆ベクトルのエリートといえる。

 関東軍いえば満州。その参謀本部と言えば中枢の中枢。満鉄調査部や、満映の甘粕正彦と直に接する機会もあっただろう。

【昭和四七年十月二四日小豆三月限大阪八九八〇円・三三〇円高/東京八九八〇円・二七〇円高】