昭和の風林史(昭和四七年十月二十四日掲載分)

悪い場面買い 強気出来ぬ小豆

小豆は時間の経過に伴って、いずれスーッと下げる。手亡は悪く見えたところを買えばよい。

「古市へこのあと二丁ななかまど 寛」

小豆相場は、このあたりで〝持ち下げならず〟を続けていると、必ず先行き、日柄の重さで、スーッと黒い糸を垂らして八千二百円あたりに落ちてくるだろう。なんなら、この辺で一発、二発打ち上げて、八千八、九百円を買うような場面があっても面白いのだが、相場には、そのような力がない。

見ていると〝浮いている〟格好だ。宙に浮く。宙ぶらり。だから型にはめにくい。

高かったら売ってやろうと閑な店頭の片すみで将棋を指している。場が建っても黒板を見ようとしないような相場では、相場をしに来ているのか、将棋を指しに来ているのか、もっと真面目にやれと言っても聞く耳もたない。

熱海温泉のストリップ小屋をのぞく事になった。山本博康先生と山口哲士氏と、ぬいだ靴を入口でもらったビニールの袋にぶらさげて、待つ事しばし。見ていると、ちゃらんぽらんだから、きっと観客が、われわれ三人だけしかいないので、いい加減にやっているのだと思った。

もう少し真面目にやったらどうだ―と言えば舞台の上のストリッパーが『五百円で真面目に出来るかい』ときた。

博康先生いたくその言葉に感心していた。観覧料金五百円では真面目にやろうにも、あんなものだろうな―と。

五百円はおろか二百円幅しか動かない今の小豆相場を、どのようにひねくっても、強弱にならない。高かったら(鱈)えい(魚へんに覃)と売ってやろう。たらとえいは食い合わせであっても、こうなったら構わない。

株式市場で一巡各業種が買われたあとに必ず曹達株が買われるものである。なにもかも皆よく上がった。あとはなにかないだろうか?と見渡して、ああ、そうだ、曹達だということになる。これは本当である。

穀取業界で幾ら見渡しても、あとに残るは大手亡豆と大豆だけで、その大豆はズーズー弁で〝大豆にしておこうと〟―あまり手をつけないので、ここはやはり大手亡豆の押し目を待って強気するしか方法はない。

手亡の七千円べたべたのあたり。手亡は悪く見えたところを買うこと。

●編集部注
 悪く見えたところ買うという所業は簡単なようで二つの理由で難しい。

 意気地がないというのが第一の理由になる。

 意気地があっても、第二の理由に妨げられる。

 大概、買いたくても手元にお金にないのだ。

【昭和四七年十月二三日小豆三月限大阪八六五〇円・四〇円高/東京八七一〇円・六〇円高】