昭和の風林史(昭和四七年四月二十一日掲載分)

しめこの兎 王手飛車かかる

高くなれば輸入を刺激するのに、高くなったと喜ぶのは変で、売り方にすれば王手飛車だ。

「小でまりや朝なほくらき雨の中 双丘子」

ストップ高で買ったとがめというものが必ず出る相場で見ていると東京市場も大阪市場も一般大衆が〝値ごろ観〟で盛んに買っていた。

よく考えなくとも、ちょっと考えてみればわかるのが常識というもので、相場が高くなると輸入して採算がとれるから、結果的にはここで高くなると、輸入の数量が増大する。増大すれば相場は下がる。

まるで、輸入を催促しているみたいなストップ高だった。それにしても、その前夜阿波座は乙部の織田専務が、お酒の席にいなば播七の〝ぼた餅〟と〝おはぎ〟を五十個ばかり買ってこさせて、食え食えという。あれが利いたのである。だから下戸(げこ)と酒の席を共にするのは嫌(いや)なんだ。まさか次の日、まともにストップ高するとは思わなんだ。

三晶実業の係の人はストップ高の相場に見送られて、19日羽田を後にした。交易会に出席する。三晶が顔を出して、そこではじめて小豆の契約が成立するのだそうだ。きょうあたりから納会にかけて七、八千㌧はまとまるだろうという予測が流れている。

大衆筋は思いきり買った。①底値が見えた②天災期が近い③横になって買い下がれば、またこのような反発があろうというものである。

されど、相場は無常である。買って引っかかっている値段以上には戻してくれないものだ。もうあと三、五百円戻してくれたら逃げられるのだが―という地点までくると、ピタリと止まる。いや、折り返して安くなったりする。

相場は、人のポケットの中身をちゃんと知っている。手帖やメモ紙に記入してある自分の建て玉表の値段を覗きよったな―と思うのである。

投げるのを待っていて、投げたとたんから急騰したり、買いつくのを見ていてストンときたり、実に意地が悪い。

交易会で数量がそれほど出来ないという希望的観測で急反発した相場が、契約進行中というニュースの入報で暴落することは見えている。

反発するだけの素地はあったのであるが、こうも大衆が買うようでは、また頭が重くなる。

せっかく盛(もり)がよくなったところだ。

売る一手だ。王手飛車の筋がまだ消えていない。

●編集部註
 自分も、コーンの買い屋にコーンポタージュを山ほど貰った事がある。

 野暮というなかれ。当の本人は必死なのだ。

【昭和四七年四月二十日小豆九月限大阪七〇〇円安/東京七〇〇円安】