昭和の風林史(昭和四七年四月二十二日掲載分)

昭和の風林史(昭和四七年四月二十二日掲載分)

売り方針不変 噴き値袈裟がけに

相場は、どの時点をとっても悪い。売り一貫でよいと思う。戻すほどの売りやすいのである。

「ふみきりに海の音きこゆ豆の花 万太郎」

誰も彼もウロウロさせられている。正確な情報が入手できるまでは混乱状態である。19日はストップ高。次の20日はストップ安。そして21日(金)がまた急反発。契約は出来ないだろう。いや数量をまとめれば価格は勉強すると、むこうは言うらしい。七、八千㌧出来そうだ。

そのたびに、相場は噴いたり、崩れたりする。

筆者は、戻り売りでよいと思う。

確かに、水準が下にあるだけ動きも敏感になる。

それは、天井圏における鋭敏な反応のように、針一本落とした音にも飛びあがったりする神経のささくれた状況といってよいだろう。

この現象を見て、底値だ―という確信を強める人も多い。

あの高値から半値ではないか、しかも天災期が近い、買い下がればモノになる―という方針の人。
筆者は、そうはとらない。

①順ザヤは、さらに開くだろう
②台湾と韓国の悪役がいる限り受けても不利だ
③交易会で数量は出来ると見る
④仮りに出来なければ北京商談に商売の場が移る
⑤供給面に不安はない。

しかも相場的には、ストップ高→ストップ安、これが感心しない。

線型は先限の九千五百円を示している。

判りやすい相場だと思う。判りやすいということは、戻りを、売り上がっていく。必ずまた崩れるのである。

京橋は脇田米穀の阿竹専務は黄色いシャツを着ていた。ひっきりなしに情報が入り、情報を伝える。冴えた顔でもないし冴えない顔でもない。舞台裏の情報センターのその中心にあって、掴みかねている。難しいところのようである。

模索する穀物市場。映画の題名なら『四月の十日間』とでもいうべきか。情報を追うと、情報にふりまわされる。

相場は相場に聞くしかないのだ。

いまの一連の動きは万円割れ時代の陣痛みたいなものと思う。

全限万円割れ。それにはやはり抵抗がある。無痛分娩ということもあるが、やはり陣痛は自然の姿である。

大衆も強気になり、因果玉を持っている買い方も成り行き上、強気を通すけれど相場は悪い。

●編集部注
相場にコンセンサスは存在しない。ただ価格の〝慣れ〟はあるだろう。

買い方にとっては見れば、万円割れは突撃の合図でもある。その後この価格に皆が慣れると、上にせよ下にせよ相場は次の場面を目指すのだ。

【昭和四七年四月二十一日小豆九月限大阪七〇円高/東京三三〇円高】