昭和の風林史(昭和四七年四月十二日掲載分)

常に暴落含み 投げが投げを呼ぶ

小豆という考えだから値ごろ観で買う。インターナショナル・レッド・ビーンズと思えばまだ高い。

「石楠花の優艶つくす晩鐘後 晴光」

クロウトの将棋を新聞などで見ていると、いかにして投げ場をつくるか、負けは負けでも一手違いの格好に持っていって投了する。

小豆の買い方も、投げ場をどこに求めるかのところで、六千円台の玉をまだ持っている人は、これはもう無形文化財で、よく辛抱しましたと、取引所から表彰されるかもしれないが、五千円台、四千円台の買い玉を、うんうんうなりながら頑張って、二千円台の買い玉などを、うらやましいと言わんばかりである。

売っている人は、利食っては売り、ちぎっては投げではない、売っては利食い、戻しては売り、一ツ積んでは父のため、二ツ積んでは母のため、売っては利食いの嫌らしさである。

腹が立っても相場だけは、なんともならん。泣く子と地頭と当たり屋には逆らえない。

だから、どこでぶん投げてくるかだ。

交易会で、中国が値を下げてきたと伝えれば、第一のコース六千円組み。第二のコース五千円組み。ともにまとまってどうぞお投げくださいとなり、案外慮も出来そうだ―のニュースではあい二千円台、三千円台、四千円台の皆様一列に並んで、さあどうぞ!!。

だから、売り玉だけは夜寝る時も肌から放すでないぞとケイ線は言う。

そうだ。売り玉がなくなったら、きっと値ごろ観で買うだろう。その危険を第一とする。第二は、売り建て利食いしたあと、真空落としという奴が恐らくあるはずで、ほっとしたとたん、はっとする下げを見て、逃がした魚が大きかったりするものだ。

台湾小豆の原価は一俵二千二百円だそうだ。台湾では小豆成り金が増えていて、小豆御殿もあるという。なんともまあ世の中、変わるものである。

小豆というイメージをぬぐい去って、これからはインターナショナル・レッド・ビーンズと考えを改めなければなるまいと霜村昭吾氏はいう。彼は七千八百円でも高いかもしれないというから、今それをいうのは身の危険を覚悟しておかないといけないと思った。

いや本当に買い方は頭にきている。自動車がぶつかってこないとも限らないのだ。しかし本当に相場は去年の高値の三分の一になるかもしれない。

●編集部注
 江戸の昔、万年青という植物に大枚が動いた。

 欧州でもチューリップがバブル化した話は有名だ。何やら、小豆相場と重なる世界ではないか。

【昭和四七年四月十一日小豆九月限大阪四〇〇円安/東京四六〇円安】