昭和の風林史(昭和四七年四月四日掲載分)

大勢下降時代 下値は存外深い

戻しても、それは単なる戻りに過ぎず、すう勢はまだ下落途上にある小豆だから売る一手。

「桃畑のくれなゐ川と曲りけり 広子」

晩春の旅なら、新幹線など利用せず、大和路をカーブして、名古屋へ抜ける近鉄特急列車がよほど楽しい。そのことを、だいぶ前、興和商事の山中国男社長とお酒の席で話題にしたことを、山中社長は記憶されていたようだ。

今時分、大和平野は桃李が満開である。山中国男社長のお屋敷は、なんでも甲府のほうで、四月十日前後は一面、杏(あんず)や李(すもも)に桃の花が酣(たけなわ)になる。山中社長は三春の行楽誰かほとりにかあらん、今が見ごろだから招待しようとおっしゃる。咲きすてし片山里の李(すもも)かな・虚子。

相場ばかりが人生ではない。洛陽の女児顔色を惜しみ、行くゆく落花に逢うて長歎息ず。今年花落ちて顔色改まり、明年花開いて誰か在る。

そしてもうすぐ浅緑の候。梨花一枝雨を帯ぶ―などと一杯やりながら幽艶の風情に耽すればなにをかいわんや。

小豆相場のほうは、とりたてて言うべきこともない。

戻す。戻せば売る。大下げが見えている。下げる。下がれば利食いする。

また戻す。戻りを待って売る。これまたなにをかいわんや。

輸入が途切れる間なし、ということも嫌な材料だ。

四月交易会。五、六月入船、七月コロンビア、八月、九月肥後小豆、台湾小豆、十月新穀の走り。

九月限が端境期限月にならない。十月は古品の捨て場と言われたが北海道小豆は無くても輸入小豆が豊富ならば、新穀出盛り期を控えて、やはり嫌気される。

それまでの間の天候相場は、まだ今のところ五分と五分。ただし凶作なら輸入しようというスローガンがついてまわる。

筆者は、万円割れ時代が遠くない将来、必ず実現すると思う。

三月23日から30日までに戻した値幅が千四百四十円(大阪八限)。これの折れ返しと見て九千四百三十円地点。

四月の相場は、突いたり戻したりしながら、結局、そういうところに落ち着こう。

只今は15日からの交易会の成り行き待ちであるけれど、戻した二千円台は買われた取り組み。戻り売りが判りやすい。

●編集部注
この臨機応変な相場対応能力が相場師の資質であるといって良い。

常に、頭をやわらかくして相場に臨む事―。

今も現役バリバリで相場と対峙している、ある古参相場師も事あるごとにそう言っていた。

【昭和四七年四月三日小豆九月限大阪三二〇円高/東京二五〇円高】