昭和の風林史(昭和四八年七月三十日掲載分)

人気完全離散 手亡に似た動き

小豆を見ていると手亡の二の舞のような虚無感を感じる。人気の離散が目につくのだ。

「夾竹桃しんかんたるに人にくむ 楸邨」

産地の旱ばつが盛んに言われている。収穫減は、まぬかれそうにない。しかし相場のほうは納会から、もうひとつ張りがない。規制の強化、買い方の自粛、農林省の決然とした上値に対する圧力、人気の離散など、相場に対して情熱の薄れていくのが判る。

しかし、ここで安いと、依然として強力な買い方は存在しているのだから急反騰という場面が必ずあるだろう。

期近限月と先限のサヤ詰まりという現象は売り方にとって救われる気持ちである。

この全く始末におえなかった相場も、山を越したという感じがしないでもない。

残されている問題は①今後の作柄②買い方の作戦③人気―である。旱ばつがひどく、作柄に大きく影響してくるようなら、買い方は勢いを得て逆襲してくるだろう。

現在、ほぼ高値掴みになっていると見てよい。

主力買い方の考え方は、今までと変わっていない。千円や千五百円高は、いつでも出来るという自信がある。しかし、人気が、ほとんど離散してしまった。

買い方は、買い方の一人相撲になることを最も恐れるのである。

人気を呼び戻すには規制をゆるめるしかない。規制をゆるめるには、相場水準を下げるしかない。

旱ばつを幾ら叫べど相場は言うことを聞かなかった。

相場も、相当に疲れている。しかし、今までに何回となく〝相場を相場として〟判断して売った側は、手痛い打撃を受けているから、悪い―と感じても積極的に売ってこない。

相場が、相場本来の機能を失っているのである。

それは手亡相場に見られた〝怖るべき現象〟だ。

手亡は一万五千円でも六千円でも付けて付けられない環境ではないが、一万五千円が付けられなかった。

規制が厳しい。人気がつかない。買い方の一人相撲。誰も相手にしない。

だから、値は付いていても買い方が利食いしようとすると棒に下げる。

小豆も、その傾向が出てきたように思う。将棋でいうところの指し過ぎ。戦いでいう攻め過ぎである。

【昭和四八年七月二八日小豆十二月限大阪一万七八一〇円・五七〇円安/東京一万八一六〇円・四五〇円安】