強弱只今無用 勢いにつくのみ
背中に〝強弱只今無用〟と染め抜いた幟を斜めにぶち込んで疲れた駄馬でもいいから飛び乗るところ。
「朝顔の苗植え分くる鉢並べ 花風」
七月二日新ポ。東京小豆12月限は一万八千七百十円に生まれた。サヤを思い切って買った。
産地の天候は申し分ない。丸五商事の田中清調査部長は産地北海道の視察から帰って『ひと通り見てきたが作付け面積は総体に増加し小豆の作柄は平均して良好であった』―と。
しかし、今の相場は作柄とは、まったく関係ないような動きで、なまじ産地を見てくると相場観が変なものになりかねない。
場面は早や七月。四日米国独立記念日。星条旗よ永遠なれ。七日七夕上弦の月。九日浅草ほおづき市。水打ってほほづき市の出盛れる(七三郎)。十一日は小倉祇園祭。映画無法末の一升の場面が目に浮かぶ。そしてお盆がくればやぶ入り。夏は河原の夕涼み。白い襟あしのぼんぼりに京都の祇園祭と続いて二十日土用の入り。この自分の北海道の天候が今年の作を決めるわけである。そして大暑二十五日は天満天神祭礼。
あっという間に過ぎていく七月である。
新ポ、買い主力がどのように出てくるか息をつめて市場は見守った。
すでに買い方は先月末に大量利食いして手をすかしている。
今後の相場の動向は、買い方が、どこで買い直してくるかにかかっている。
手をすかせば、とたんに市場は閑になる。
太陽は買い方のためにある。まず四十六年十月の高値二万一千円あたりまでは起伏はあっても行く相場という見方。
しかし買えない人が多い。仮にここから二千円幅あるとしても手が出ない。だから相場は残っているといえよう。
問題は、この相場がどこでピークになるか。
増反、平年作、在庫、金詰まりなどの諸要因、即ち現在、全く相場が無視している材料が首をもたげてくる。
その時は、誰が買おうが水準訂正の大反動である。
今その事を考えて売るのは早いかもしれぬ。ただ、木は天まで伸びず、大天井しない相場はこの世にない事だけは忘れてはいけない。
七月相場は灼熱であろう。一万八千二百三十円の新値を十一月限が抜いた地点からゲートは開く。強弱只今無用。
●編集部註
映画「無法松の一生」は伊丹万作脚本、稲垣浩監督で昭和十八年に公開。公開前は内務省、戦後はGHQの検閲でフィルムは二度切り刻まれた。
その後、この監督は完全版を自身でリメイク。ヴェネチア映画祭でグランプリを獲得する。
【昭和四八年七月二日小豆十二月限大阪一万八七〇〇円/東京一万八八二〇円】