昭和の風林史(昭和四八年七月十四日掲載分)

なんとかせい 国会が済むまで

せめて国会が終わるまでなんとかせいよ―と言われれば取引所も、そうですねぇと言わざるを得ん。

「氷水濡れし釣銭もらひけり さかえ」

穀物市場に対しても規制が厳しくなってきた。農林当局は業界関係団体や業者を呼び出して自粛するよう呼びかけている。

通産省のほうも綿糸など非常に値段を気にしている。

お役人たちは、自分たちの言っていることが、甚だ理の通らぬ横車であることを充分に知っているが、政府の方針が物価を抑えるという大前提に立っているため公表される取引所相場に異常なほど神経をつかう。

彼らは決して取引所が悪いとは思っていない。取引所は公正な価格を形成し、それをあまねく公表するところに機能の存在がある。

取引所に自粛せよというほうがおかしいのであるが、おかしかろうと、へちまだろうと、木っ端役人の悲しさは、なにもかも承知していて、それを言わざるを得ないところが悲しき宿命である。

彼らも苦しかろうが業界は、もっと苦しい。わかっちゃいるけど我慢せよ。

小役人どもは、田中内閣の政策の失敗を腹の中で冷ややかに眺めている。田中総理もその事は、承知している。『やつらは土建屋に経済が判るかと思っているのだ』。そういう役人の根性が大嫌いだ―と角栄さんは身近な人に、つい愚痴が出る。役人は総理を、総理は役人を、軽べつしあっている。迷惑なのは、そのとばっちりを受ける国民である。

取引所相場を押さえることが物価を抑えることだとは、主務省だって思ってはいないが『察せよ役人の立場を―』である。『判るだろ、馬鹿内閣のとんちんかん政策の犠牲者のなかに、役人もはいっているということが―』である。

『君たち業界は、うまくやれよ、せめて国会が終わるまで』。

商品業界は、こういう政府と、役人どもの大きな犠牲になろうとしている。世の中は住民パワーの時代であるが、商品業界には住民が不在である。従ってパワーもない。

小豆相場のほうは、わけの判った木っ端役人どもから『上げるも下げるもねえお前、水の流れになに変わろ…』と言われれば、『わたしゃこれから利根川の船の船頭でくらすのよ』といわざるを得なかろう。

●編集部注 
先週11日朝日新聞デジタルで、ある芸人さんが今の国会をプロレスに準えて見事に語っていた。

馬場や猪木のような昭和のスターレスラーと田中角栄は重なって見える。
 
今回の記事では木っ端役人を嘆いているが、今に比べればまだマシだ。

【昭和四八年七月十三日小豆十二月限大阪一万九三〇〇円・四六〇円高/東京一万九七三〇円・五九〇円高】