昭和の風林史(昭和四八年七月四日掲載分)

売ると逆襲高 買えば一段安へ

魂を悪魔に売ったグループがゴルフに行くと閑になり、売ればS安。買えばS高。まだまだ荒れる。

「老僧の骨刺しに来る薮蚊かな 虚子」

不快指数一〇〇%の相場である。くるかもしれないと思っていたS安が実現した。二日の新ポは、人気が非常に強くなった。手の悪い筋が買いに回った。先月末、窓明けて飛んだところを当たり屋筋が利食いした。十月限の五千円割れ、十一月限の六千円割れを売った、非常に手の悪い筋が踏んだところを利食いした。

うまくいくと、こういうふうになるし、まずくなると、持って回るようにテレコ、テレコ、いすかのはし。その見本みたいである。

それでどうなのか。千二、三百円下げ。申し分ない押しと見れば、もう一段安しよう。売ったらやられるだろうし、買ったらやられるに決まっている。

神の御加護を―と十字を切るしかない。

〝わしゃもう死にたい〟という。ほんまや。

この相場をモノにするには①ある種の特定グループに参加すること②それとも好運のバイオリズムにのっていること③狂人の如きある種の信念を持っていること④アラーの神の御加護があること―そのいずれかである。

なんら買えるべき要因のない相場だったから高かった。これを相場の持つエネルギーと軽く言ってのける。力相場である。力はすでに正義である。その考えがまかり通った。

いまここで、S安、S安、S安と三発でも四発でもS安を買い下がるという手もある。

あるいは十日ばかりグアム島にでも旅行して相場のすべてから放れる。

波に乗っている人はその好運を逃がさぬよう勝って兜の緒を締める。

どこかで、大幅増反と大量の在庫と規制強化、日柄を経過した高水準の相場の反動が必ず出るだろう。

今がその走りなのかもしれない。だが待てよ―と腕を組む。

なにも相場は天井を売らなくてもよい。波動が変わったと気がついてから売っても遅くない。だが現在の相場の傾向は実に気まぐれである。悪魔に魂(たましい)を売ったグループの考え方一つでS安がS高に転化するし、彼らがゴルフにでも行けば、相場はアッケラカンと閑になる。なにが悲しくて一生懸命相場を考えんならんか。

●編集部註
ぼやくとくすぶる。

勝負師の鉄則である。

ロバート・ジョンソンではあるまいし、さすがに゛魂を悪魔に―〟の表現は洒落にならない。

【昭和四八年七月三日小豆十二月限大阪一万八〇〇〇円・七〇〇円安/東京一万八一二〇円・七〇〇円安】