一万八千円説 涼しい顔で言う
生糸市場から小豆市場に巨額な投機資金が流入して、一万八千円必至と涼しい顔でいうありさま。
「蛇穴を出て見れば周の天下なり 虚子」
小豆相場は、もう強弱の段階ではない―と言うが、それもまた強弱である。
生糸市場が全限新規売買停止となった。生糸市場で巨大な利益を得た投機筋が小豆相場に雲集している。
ともかく買っておけば―という人気である。
市場では、一万八千円という声がささやかれる。
異常を異常と思わない昨今の風潮である。なにが怖いと言って、勢いというものほど恐ろしいものはない。
乱世である。
乱世は常識人では渡れない。良識も無用。いや、なまじ良識など持つと邪魔になる。攻めはあくまで厳しく、ゆるめるなかれ。
十日の長期予報は、恐らく〝悪い〟見方がなされよう。五日の在庫発表で仮に押せば、十日めがけての買い場になるという作戦。
一万五千円を涼しい顔で付けている小豆である。東洋経済三月三日号の朝倉正氏の〝地球をおおう異常気象〟によれば「一時的なものではなく」「日本も夏は不順型」とある。
小豆は、まだ今のところ生糸や毛糸のような実需からきている高騰ではない。しかし、作付けの動向や交易会の商談の進みぐあい。あるいは長期予報によって、仮需要の火は、さらに燃え広がるのかもしれない。それは儲かるものに集まる人間の心理だ。
東穀のキャパシティを上回る尨大な仮需要。もし昨年の小豆が五、七十万俵という不作であったら、全国六ツの穀取は、すでにパンクしていたかもしれぬ。
大手亡にも不気味な気配がうかがえる。
小豆が一万八千円なら手亡の一万二千円があっても変ではないという考え方。量的にあれだけあった大豆でさえ(もとより消費量も大であるが)一万五千円したのであるという―考え方。
確かに〝もう強弱ではない〟のかもしれないがそれもまた強弱である。
人々は値段というものに麻痺してしまった。
一六三四年、オランダのチューリップ騒動は、人々が新種のチューリップ球根を求め、球根一ツとダイヤモンド一カラットが同一値という狂気を演じ、オランダ経済は完全に狂い、回復に数年を要した。過激な投機は一種の熱病である。
●編集部注
新規売買停止となればこれは「もうやめとけ」という合図なのだが…。
【昭和四八年三月三日小豆八月限大阪一万五二二〇円・八〇円高/東京一五〇七〇円・八〇円高】