初の三日新ポ けったいな具合い
相場が建たなくても相場の強弱は書けるが、なんとなく、ちぐはぐで強弱に気が乗らないものだ。
「花すすき鈴鹿馬子唄いまありや 素逝」
近ごろは土曜日になると通勤の電車も人が少ない。週休二日制の企業が増えている証拠で、土曜に出勤するような会社は〝なんだ君のところは休みじゃないのか〟と侮べつの眼(まなこ)で見られ、肩身の狭い思いをすることになるだろう。
つくづく時代の移り変わりを思わずにはいられない。
来年からは証券界も銀行も完全週休二日制に移行するようだ。商品業界も十月から完全実施を予定していたが、取引所ごとに意見の食い違いがあって、来年四月を目途にした。
本誌は残念ながら第一土曜日は休刊出来ない。証券市場は現在第三土曜しか休まない、株式の相場が建っているのに証券面を持っている日刊新聞が勝手に休刊するわけにいかない。商品の読者もさることながら本紙は証券の読者も多い。
戦前、戦中の教育を受けてきた人間にとって、仕事を休むということは、なんとなく罪悪感というかうしろめたい気持ちがある。商品業界が完全週休二日制に踏み切れなかったのも、年配の取引員経営者、あるいは取引所上層部が、仕事を休むことに対して、それが時代の流れだとしても、すっきり割り切れないところがあったのであろう。
また、出来高が減少し、収入が低下するようだと、来年四月から実施とはいえ、猛然と反対する人が出てくるかもしれない。
その点若い人達、即ち現代っ子は、まったく人生観も視点も違うから、土曜日も働かなければならない企業や業種を敬遠する。
時代の変化を頭では理解出来ても皮膚で感じることの出来ない年配者は不幸な時代である。特に大正中期以降、昭和ひとけた前期に生まれた人達は、職場でも家庭でも世の中の流れからどこか離れたところに心の芯が残されているようで、英語が苦手、ダンスは出来ない、酔って歌うのは軍歌。たべものを無駄にせず、軍艦の名前や戦闘機の名前をよく知っていて、歴代天皇の名前も白川、堀河、鳥羽、崇徳、近衛、後白河、二条、六条ぐらいのところまでは神武から言いだしておぼえているものである。
●編集部注
世代ごとに共通の教養というものがある。違う世代には、それが眩しい。
昭和も終わりの頃、ある出版社が皇室に関する本を出版し〝炎上〟した。
会社に銃弾が打ち込まれ、街宣車で周囲を囲まれ、脅迫電話がかかる。
電話をとった編集者は罵声を浴びせ恫喝する自称右翼に「あなたが右翼なら歴代天皇の名前を言えます?」と逆に問うた。 相手が言えない事が判ると「僕は言えます」とスラスラ挙げて撃退する。
その日を境に、脅迫はピタリと止んだという。
【昭和四八年九月一日・休場】