昭和の風林史(昭和四八年九月十一日掲載分)

大底刻々接近 反騰は急ならん

恐怖の崩れ。期近は遂に八千円台。手亡より安く高値の半値以下だ。底入れ刻々と接近す。

「桔梗一輪馬の匂ひの風動く 竜太」

穀物市場は暗澹としている。一部に安値解け合いという声も聞かれる。

東穀市場における千枚以上の買い建て店の今後の玉の動向が、当面の相場を一段安にも、あるいはジリ貧型、もっていくわけで市場は緊迫したパニックの状態から脱しきれない。

筆者は、先限の一万八、九百円どころで恐怖の下げ相場も一応止まり型になると見ものだが、戻せば、すかさず売られる不安定な状態からは、まだ抜けきれない。

利害の伴わぬ、単なる相場観ならば、今週あたりで〝崩しの凄さ〟は遠のき、一応の止まるべきあたりが手探りにでも判るところであろう。

いや、取り組みはまだまだ悪いし、尨大な在庫量が圧迫し、豊作の新穀が出回ってくるという時に、なまじな事で相場は止まらない―と見ることも出来るが、それならそれで戻りを待って売るという方法が判りやすいのではないか。

相場というものは上にも下にも行き過ぎるものである。

行き過ぎの地点は、誰しも冷静な判断を欠く。

一万九千円の時に二万三千円、二万五千円必至と思えたように、今の相場が全限一万円割れ必至と見えても、それは仕方がない。

ここで相場が大転換するには、産地天候の急変作柄の異変しかない。早霜による被害―。あるいは立ち枯れ病。長雨などである。それ以外には、残っている買い玉の、市場も最後の日かと思わせるような壮烈な総投げによるしかない。

値段としては、確かによい地点に来ている。

筆者は、いつか、この相場の中心、臍は一万五千五百円―と書いた。

臍の地点から大天井一万九千三百円までが三千八百円幅である。

臍から下三千八百円とすれば一万一千七百円である。月曜日の水準はそれ以下のものである。投げて投げて投げる。負け戦は逃げて逃げて逃げる。そこには作戦も計算もあったものではない。

期近は九千円台も割った手亡より安いのだ。高値の半値以下だ。まさしく相場は陰の極に入った。売りの時代は終わろうとしている。

●編集部註
単なる偶然であり、何の関係もないのに不思議な縁を感じる時がある。

昭和四八年九月十一日の小豆相場に買い方の墓碑銘というべき塔婆が立った。三十年もしないうちに、NYの二つの高層ビルに二機のジェット機が突っ込み、崩れた。

【昭和四八年九月十日小豆二月限大阪一万一一八〇円・七〇〇円安/東京一万一〇一〇円・七〇〇円安】