じき見て逆襲 まず、ふるい落とし
ストレートの下げ。高値買いつきの玉が投げている。買い方は巻き返しに出なければならない。
「眠たさのうなじおとなし天瓜粉 秋桜子」
旱ばつは相場を押し上げる材料にはならなかったが、帯広の降雨は旱ばつ解消で相場を突き崩した。
という事は、相場が、かなり疲労していることを知る。
高値での、だんご型。買い方の高値掴み。農林省の二万円という値段監視する強い態度。厳しい規制。人気の離散。すでに聞きあいた買い方の買い根拠。
そして最も注意しなければならない日柄の経過。
さらに、当先の異常なサヤの拡大による先限へのサヤ取り商いと、東穀の実施した長期早渡し制度による先限への現物ヘッジ。
この間、消費は止まり、消費地在庫は増大の傾向。買い方主力は時節をわきまえ、じっと我慢の子で沈黙を守った。
一般的に小豆に対する人気は、辟易している。
買い方が強く攻めたてると、ひと場で地合いが硬化してしまう。
近寄らぬほうがよいという人気だ。すでに手亡がまったく相手にされていない。高かろうが、安かろうが、関係ないという存在だ。
小豆もそれに似た動きである。そして高値を知らず知らず買いついてしまった。買い主力にチョウチンをつけたのである。
相場が、はっきりと精細を欠きだしたのは七月13日・金曜日からである。
その後、買い方は、遠慮気味に買いの手を散発的に入れるが、相場基調は以前のように精気が見られなかったし、産地の旱ばつがどれほど言われても頭重い症状から抜け出せなかった。
しかしこの戦いはこのままピリオドを打ってしまうとは思えない。
相場そのもの、純相場論(今では古典的相場観とでもいうべきか)から言えば大天井打ち→戻り売り→大幅安となるわけ
だが、巨大な勢力が市場に介在している限り、いつまた暁の大逆襲が展開されるか判らない。
それは相場強弱ではなく買い方の懐勘定と買い主力の感情の二ツによるものである。
高値で買い玉をひろげたちょうちん筋は、あきらかにふるい落とされる。
売り方にとっては、ほっとした場面だが、まだまだ売り値にはほど遠い。
七千円割れからいずれ強烈な陽動作戦が展開されよう。
●編集部注
純相場論通りだった。
しかし、それは後になってから判ること。
相場は悲観で生まれ、懐疑で育つという。ここは懐疑に塗れていた。
【昭和四八年七月三一日小豆十二月限大阪一万七一二〇円・一七〇円安/東京一万七二九〇円・一八〇円安】