栄華是非あり 秋気衰顔に動く
小豆は戻したところを売ってやろうと手ぐすねひいている。もとより戻したら売りの一手だ。
「ひぐらしや昔のままの二尊院 みつる」
梶山季之氏が雑誌〝問題小説〟の十月号に清朝由来について書いている。
現在、この伝統的宮廷料理の出来るコックは中国大陸にも台湾にも存在しない。ただ一人、香港の大同酒家に残っているのみだ。
なにしろ全コースをたべるのに三日三晩かかる。作家の梶山氏は十数人、予約金五十万円でこの料理を香港までたべに行った。
日本で、もしたべるとすれば三百万円はくだるまいというだけあって、そのメニューは、まさに壮観である。
古い昔の中国の王侯貴族は百日の宴といって昼夜をわかたず幾日も幾日も宴会を続けた。
当社がこのほど出版した〝ロンドン エアメール〟のなかにもイギリス人の食事について書かれた項がある。お酒を飲むにしろ、昼食をとるにしても、ゆっくり時間をかけ、食事を楽しむ様子が、海外生活の長い著者の上手な文章で書かれている。
それを思うと、われわれ日本人の食事の、なんともいそがしい事。昼どきなどたいがい五分か十分ぐらいで、そそくさと終わっている。
日本でも田舎の奥のほうにいくと婚礼など祝儀の宴は三日三晩ぶっ続けというのがあるらしいが、都会人は、そういう宴席に座らされると、どんなタフな人でも一週間ほど体調を崩してしまうようだ。
近年つくづく変わったと思うのは日本人のお酒の飲み方で、日本料理であろうと、なんであろうと、ウィスキーの水割りである。ウィスキーの瓶に自分の名前が書いてあるのを持ってこさせて自分の好みに水を割って、いとも手っとり早い。
ゆうちょうにお燗をつけて―という手間を待ちきれない、せっかちなお酒の飲み方である。
だからこそ日本経済は高度に成長したのかもしれない。思えばウィスキーの水割りが流行しだしたころから日本経済は急成長したようだ。なににつけて日本はいそがしい。
ところで相場のほうは大きな動きもなさそうである。後場休会。昼から盗み酒ともいくまいが、お茶がわりによく冷えた麦酒などまあいいだろう。
●編集部註
かなり暇であったのだろう。相場方針が決まったら後は書く事がない。細かく書くと野暮天だ。
では食べ物の事でも書くかという運びになる。
本文で登場する宮廷料理は満漢全席の事。熊の掌とか、燕の巣とかが出てくるアレである。
【昭和四八年八月二九日小豆一月限大阪一万四六七〇円・一六〇円安/東京一万四七五〇円・七〇円安】