人気は弱いが 相場は下げ道中
大勢的には戻り売りの相場で、また戻すかもしれないが、力があるようでない。売りっぱなしだ。
「うつろえる程似た色や藤袴 北枝」
下関に行ってきた。取引所の周辺は深閑としている。ひとけのない赤間宮では焼けつく日射しの中で法師蝉が盛んに鳴いていた。関門商品取引所は十月一日、開所20周年記念式典を行なう。その会場になる下関マリンホテルは海岸沿いに白亜の14階建てである。関門橋の開通は十月一日を予定していたが、セメント不足で開通が11月14日に延期された。
関門商取界は落ち着いている。理事長問題も業者のほとんどが〝なにも任期前に辞任される理由はないし、続けてほしい〟という意見である。勝野通彦理事長も『20周年を機に辞任するというのではない。一応会員に信を問うつもりで、来年春の任期までは、やりたい』―。〝言うなら関門商取20年の総懺悔〟である。
関常務理事も業界での評判はよろしい。単身赴任で小倉に下宿して不便のようであるが下関の水にもなじんできたようだ。
小倉の西田三郎商店の中村太蔵氏に門司港ゆかりの〝枕潮閣〟で御馳走になった。海峡に夕日が映える時分のこのお座敷は、手をのばすと、届くようなところを大きな船が通り、その波しぶきがお膳の上の真っ赤な焼き海老に降ってきたりする。
潮風に吹かれ杯を重ね、行きかう巨大な外国船を見ていると、つい箸を忘れてしまう。
船橋から船長の持っている双眼鏡でこちらを眺めると、お膳の上の、お刺身の切り身まで見えるそうだ。
昭和十六年、この海峡を終日連合艦隊が通り抜けた当時の話は、筆者はこれで四、五回聞いたが、ここに来るたびに、その話をもう一度聞きたいため、およしさんと、お静さんに催促する。中村太蔵さんは山本博康先生を一度なんとしても、ここにご招待したいとおっしゃる。本紙連載〝壁中有声〟の執筆者、中井繊維の副島伊三郎氏もお元気で、枕潮閣を知ったのは随分以前、副島さんと中村さんと三人で海の底を下関側から門司まで十円ずつ出して歩いた時からである。
さて、相場のほうは安いようだ。もう一度戻して、また安いのかもしれない。帰って来てケイ線を見ると五千六百円を買い切れなかっただけに駄目な相場だと思った。
【昭和四八年八月二三日小豆一月限大阪一万四二五〇円・五二〇円安/一万四三〇〇円・六一〇円安】