相場老いたり 敗走三千マイル
小豆先限四千五百円。手亡敬遠Sの字四ツのフォアボール。本間さんが言った。六月崩し見様の事。
「水石に激する処河鹿鳴く 別天楼」
青山 北郭に横たわり
白水 東城を遶る。此の地一たび別れを為せば 孤蓬万里を征く。浮雲 遊子の意 落日 故人の情 手をふってここより去る 蕭蕭として斑馬いななく。
(友人を送る・李白)
あかあかと落ちる夕日の中で別れる友人。まるで目に浮かぶ絵のようだ。
李白の詩は日本人の心をとらえる。刀を抜いて水を断てば水さらに流れ、杯を挙げて愁いを消せば愁いさらに愁う。人生世に在りて意にかなわざれば明朝髪を散じて扁舟を弄せん―などと。気にいらなければ冠をすて小舟に乗って湖上をさまよわん。
目立ちすぎるほど買った小豆の買い方、その玉四千枚のうち三千枚は高値にきての買いだから、逆(さか)さピラミッドである。なにが怖いかといって、老境期にはいった相場の高値で、玉を広げるほど無残なものはない。小指でふれても落ちる。
君見ずや青海のほとり古来白骨人の収むる無く(君は見ただろう、青海のほとりでは昔から人骨が、ひろう人さえないままになっているのを)。新しい亡霊はうらみもだえ古い亡霊は声をあげて泣き叫ぶ(旧鬼は哭し天くもり雨湿めるとき声の啾啾たるを)杜甫。
手亡みたいなものは敬遠してフォアボールでよろしい。誰もが無関心になれば、嫌でも下げてくる。現物が欲しい人は買えばよいし、一万五千円を信ずる者は強気すればよいだけで、君たち好きなだけやりたまえ。そのうちトットコ、トットコ下げるしかない。
小豆にしても六月限の三月の頭が五千五百二十円。これが抜けなかった。七月限も五千八百六十円を二文足りずの頭打ちだし八限三月の頭六千三百円が買いきれない。
こう見てくると期近三本は三月10日の頭を六月九日シックスナインが抜いていない。はいそれまでの事でした。
これで十月限の半値押し二千百八十円は一万四千八百九十円。四八九ちゃいんけつ。10限11限のサヤ千円と見て先限一万五千八百九十円。あかんなまだそれぐらいの下げでは。
人ごとのようにスッパリと言ってのければ先限一万四千円さ。
手亡は敬遠でS字安四ツのストトン下げあたりは利食い場か。
●編集部註
目下、離島を形成中。
ただそれは未来人しか知りえない事である。
話変わってこの頃何があったか。渋谷のNHKホールが開館している。
【昭和四八年六月二十日小豆十一月限大阪一万五八六〇円・二三〇円安/東京一万六〇八〇円・七〇円安】