昭和の風林史(昭和四八年六月二十三日掲載分)

手亡人気離散 日ばかり族跳梁

日ばかり族が駈けめぐる。高ければ売り、安ければ買う。手亡は相手にしない。人気離散だ。

「心太紀の大灘を眼下にす 忠男」

手亡の取り組みは太らない。妻は病床に臥し、児は飢えに泣く―は梅田雲浜の訣別の詩であるが、値は高けれど手を出す者なく商い細り取り組みまた太らず新戦場寒々たり。

手亡は小豆のように在庫が豊富でない。そして減反だし、ピービーンズもビルマバター豆も高水準にある。手亡だけが、なんで下がろうか、というところ。

手亡が、もうひとつ不人気なのは強引に煽られたら、すぐS高する。あぶなくて近寄れない。さりとて買ったと見るや、すかさずぶっ叩かれてS安する。

見ていると手亡は魔剣乱舞だ。やったな、ええいやったれ、この野郎、ぶっ叩いてしまえ、やりやがったな、千枚買いだ―という風にまるで感情のぶつけあい。

これでは、どこから棒ぎれが飛んでくるか、そばにも寄れない―というのが本当のところである。

相場をそういうふうにしてしまうと、印象が悪くなって、大衆は敬遠する。証拠金も割高だ。もともと手亡という相場は、なんともやりにくい。まあ見送ることだなということになる。

だが手亡も相場なら、どこかで小豆のようになる。だんごにしておいて垂れてくる。

相場というものは大衆人気でワッといくから理外の理で、行き過ぎるものだが、今の手亡みたいに大衆不在、クロウトとクロウトのやりとりでは、ギスギスしてどうにもならない。

だから一段と人気が離散する。それも仕方ない。

正直なところ、買い方だって、本気で一万五千円を考えているわけではなかろう。買い玉を利食いするに出来ないという状況だ。煽っておいて逃げようとするが、大衆が参加していないから、自分の買いで値を吊り上げ、自分の売りで値を崩す。はたから見ていると見えすいた手である。

実際いうと手亡も小豆同様、疲労している。本来なら暴落ものだ。しかし買い方が手亡を支える。手亡を支えて小豆が止まるならよいが小豆は重かった。

まあ、相手にしないことである。それより小豆の戻りを売るほうが判りやすいし相場も素直だ。

巧者筋は日ばかり族の仲間入りして駈けめぐれ。

●編集部注
 売り方は六月の星と離島を売りの根拠とする。

 早く一万六千円を割れろとジリジリしている様子が行間から窺える。

 もう間もなく、買い方にも離島が出現する。

【昭和四八年六月二二日小豆十一月限大阪一万六二二〇円・一〇〇円安/東京一万六四〇〇円・一七〇円安】