昭和の風林史(昭和四八年十月六日掲載分)

無残なり提灯 逃げたどじょう

手亡が天井している。小豆も再び長い下げ過程にはいる。ちょうちん買いが鈴なりになって重い。

「渋柿の減法なりし愚かさよ たかし」

小豆がここで千円棒下げでは止まらず一万二千円近く、即ち三日の頭から千五百円下げよう。

ストップ高で買うなど狂気の沙汰と思っていたら案の定ガックリと反落してきた。よくもまあ、なり振りかまわず買ったものよ。

去年がどうあれ、去年は去年。今年は今年の相場というものがある。高ければ豊作小豆は売ってくる。農家は小豆を現金に換金するため生産したのである。相場を思惑するため小豆を作ったのではない。

尨大な在庫。ついてまわる倉敷料。まるで僥倖(ぎょうこう)のような相場の反騰には、冷厳な目で実弾背景の売り物が売り場をのがすはずがない。

浮かれたのは尻軽投機家である。例によって高値掴みになった。

買い方は、われに〝桑名〟ありという依頼心がかなり強いようだ。

われはわれ、我が道を行く―というのではない。桑名筋に対するちょうちんであるから自主性がない。

相場は、ちょうちんがついたら負けである。

仕手としては、いかにちょうちんをふり落とすかが腕の見せどころである。敵をあざむかんと欲すればまず味方をあざむけ。
ちょうちんを手玉にとったのが伊藤忠雄氏であった。

秋の交易会がもう始まる。外貨のワクがないから商談は成立しないだろうという見方がある。

山ほどの在庫、そして大豊作。この上に輸入があっては相場にならない。

この小豆相場は、長びく下げの坂を転がっていくようにも思う。

市場では一万二千五百円近辺になれば桑名筋が再出動するそうだと噂している。

それは、高値を掴んだ悲しきちょうちん筋の心細い他人頼りの期待である。

桑名が買おうと売ろうと相場が安い時は安いのである。

手亡が天井している。手亡はどうにも人気が寄らない。小豆より高い水準にありながらストップの制限値幅が五百円(小豆は七百円)という事も納得出来ない。小豆と違って手亡は品物が少ないから一緒には出来ないのなら証拠金はどうなんだ―ということになる。

●編集部注 
そらみたことかという空気が行間から窺える。

ただこの頃あたりから中東戦争の第一報が届く。

さて、これで世間はどう変わるか。

【昭和四八年十月五日小豆三月限大阪一万三二二〇円・一二〇円安/東京一万三二九〇円・一一〇円安】