昭和の風林史(昭和四八年四月十七日掲載分)

反撃を期待す 値段はとどいた

やはり、止まる地点である。止まるところはキチッと止まってしまうのが相場。反撃を期待す。

「雨やんで巌這う雲や山帰来 蛇笏」

高値掴みの引かされ玉は投げるものは、とうに投げきっている。いまもって、高値の買い玉を辛抱している人は、たとえここから千円下げても投げたりはしない。

幸い、下げ相場の波動に乗って、うまくいった人たちは〔利食いして売り直して、また利食いした〕。カラ売り玉のほとんどはレシーブを利かして二回転、三回転の利食いで、売ったままという建て玉は実弾背景の現物ヘッジ玉。これが期日、期日(納会、納会)に渡ってくるのだとおどかす。

不幸にして売り転換出来ず、買い陣営に残った人たちは投げて、投げて、投げた。

そして、今もって投げない買い玉は、いつの大きい相場でもそうだが、あと幾ら下げても投げやしない。

ここまで(追証追証に耐えて)頑張ったのである。あだやおろそかに投げたりなぞしない。

持久戦である。天候相場に持ち込む。必ずモノになるだろう。戦術としてはナンピンをかけて買い値平均を低くする。

今は勝利の美酒に酔う売り方だって、あのころはどうだったか。あのころとは一万五千円、一万六千円を付けた当時。メロメロになっていた。それを頑張った。信念もって頑張った。

相場とは、そういうものである。どうだろう。だいたい値段にとどいたのではなかろうか。八、九月限の千円割れ。前(期近)二本の万円割れ。日数にしても、下げ幅にしても、だいたい申し分ない地点と思う。

強気する側に立つ人なら、このあたり一番買ってみたい。しかし残念ながら孝行をしたいころに親はなく、ナンピンかけたい時に銭がない。
だから相場は、たえずゆとりのある資力を残してやらねばならないのです―などと相場の本などに書いてあるが、言うはやすく、行なうは難しい。

ともあれ、自分が買ってみたいと思う値段は売り方も買ってみようと思う値ごろで、期せずして売り方も、買い方も止まったと判断するから月曜16日の前場のような急反発になる。まあ、市場は総悲観、総弱気。玉整理完了。悪材料織り込み―月並みだが、ぼつぼつ相場は様相の変わる時分に来ている。

●編集部注
 舞踊の名手の所作は、ひとかどの武芸者のそれに似るのだという。

 斬った張ったの相場世界の最前線に立つ人の心は、達観した高僧の如き心境に似るのだろうか。

【昭和四八年四月十六日小豆九月限大阪一万一三一〇円・四三〇円高/東京一万一二九〇円・四九〇円高】