暴落あるのみ 作柄に関係なし
久しく師をさらさば国の用をなさず。兵は拙速を尊ぶ。買い疲れの相場は暴落するのみ。
「朝かげや糸瓜の花の落ちしまま 友猿」
東京市場における三晶の各節にわたって各限月(八月限を除く)の目立つ売り手口は、なんとも買い方強気筋にとって無意味である。週明けは前場だけで二百枚売っていた。
相場地合いも、最近の空模様のように、まったく冴えない。
産地天候は明らかに冷害型で、作柄は万人の見るところ大幅減収は、まぬがれないのだが、相場が言うことを聞いてくれなければ、なんともならない。
それというのも高値で大きくシコっている大量の買い玉が今の相場の頭を押えている。相場は買えば騰がるというものではない。
相場は売るから騰がるのである。同じことに、買うから下がるのである。
腹一杯。筒一杯買って、なお買い支えなければならないということは、ご馳走を満腹するほどたべたあと、やれ飲め、それ呑めと麦酒をすすめられるようなものだ。
相場は買い方がぶん投げてくれるまで上値づかえである。
建て玉制限というシバリにかかっていることも身動きつかなくなった大きな原因である。
将棋でいえば〝指しすぎ〟の格好で、気がつけば自分の王さんは挟撃されて逃げ場がない。
すでに買い方も、現在の相場が〝重い〟ということは嫌というほど感じているはずだ。ただ、産地の相場と作柄が、あまりにもよくないので、拡大した戦線を縮小するのに迷いを生ずる。思えば、かなりの長期戦である。
孫子兵法は教える。
『その戦を用うるや、勝つも久しければ兵を鈍らし鋭を挫き、城を攻むれば力屈す。久しく師(軍)をさらさば国の用足らず。故に兵は拙速を尊ぶ』
買い方の軍は、天の理、地の利を得るも、その兵力を疲れさせた。戦線の拡大、そして長期戦。これみなすべて兵法としては、最もいましめなければならないことである。
買い方は頑張っている。だがそれは意地でしかない。
相場は崩れるであろう。ひとたび防衛線を破られんか、なだれを打って音たてて崩壊せん。相場の世界は、なんと厳しいことであろうか。
●編集部注
我慢して、我慢して、勝ちの華を咲かせた事がある人ならこの気持ちがよく判るのではないか。
我慢に良いも悪いもない。あるのは運だけであろう。我慢の結果勝つのではなく、運良く勝ちを拾ったのだ。しばしばそこを間違え戦略を見誤る。
後年、2000年代になって上梓した「格言で学ぶ相場の哲学」のなかで、風林火山はこう記している『頑迷、頑固、落ち目の要因―「貧乏ガギグゲゴ」といってガは頑固、頑迷。ギは欺瞞。グは愚痴。ゲは幻想、ゴは傲慢。一時的に、うまくいっているように見えても、遠くから見ていたらわかるが、必ず大病になったり、事業や相場で失敗している」。
現代の読者はこの後の相場の動きを知っている。 まさしくこの時、グとゴはなく、ギはよく判らないが、ガとゲの萌芽は出ていたように思える。
利のある玉より、因果玉の方が、不思議と我慢出来るものだから、なおさら性質が悪い。
【昭和四六年七月二六日小豆十二月限大阪二二〇円安/東京三一〇円安】