昭和の風林史(昭和四六年八月七日掲載分)

総攻撃失敗す 難攻不落六三六

十月限の日足線はまるで西洋の燭台だ。ローソク四本たててアーメンと十字を切れば大暴落。

「ひるがほや川となり又みちとなる 蚊杖」

在庫数と八月入船の中共小豆と北海道在庫の数字を加えると、結構、端境期までの供給量は豊富である。そこへ少量ながら肥後小豆と、東北六県の内地小豆が加わり、十月ともなれば幾らかでも北海道小豆が出回ってくる。

気分的にも心理面を緩和させるに充分である。

あれだけ天候が悪く作柄も六、七分作を言われながら、六月21日の高値(新穀・大阪)六千三百六十円=シックス・スリー・シックスを買い切ることができなかったことは、強気陣営に一まつの、あせりを感じさすものがあったと思う。

不作は織り込んでいるのだ。

品不足も解消しつつある。それと申すのも高値続きで需要の伸びが止まっている。

相場は随分疲労しているのだ。

あとは人気であるが買い大手が存在する限り、人気化することはない。なぜなら、湧いたところは冷やされるからだ。

売り込んでいるという見方をする人もいるが、それは変だ。取引員は向かい玉が規制されているため客注のほとんど全部が場ざらしである。

売りに対して、それだけの買いがあるわけで、むしろ専業取引員は、お客が売っているため相場が高くならないことを願っている。客の売りに店が向かっている時代なら、場がどうなろうと相場高騰を願うのであるが、いまではお客が損すれば、商いが淋れる。お客と店は同じ立場にあるのだ。世の中、変われば変わるものである。

良識ある信念の買い方は、もとより先行きの需給バランスと作柄悪を根底に強気方針の戦線を保持しているが、逆説的に申せば大手買い方が存在しなければ、相場はもっとラフに動き、一万七千円を勝手に付けていたかもしれないし、市場だって、もっと弾みがついて商いは増大していたかもしれない。

良識ある買い大手が存在するから相場は騰がらないのである。その意味では買い方は、相場の支えを一度はずして、統制相場から自由相場にしてみることも方法であろう。

十一月限の線型を見たまえ。まるで西洋の燭台みたいだ。六千五、六百円の頭打ちしている。一本一本の頭にローソクを立ててアーメンと十字を切るところである。さすれば相場はガタガタである。買い方の総攻撃失敗せり。

●編集部注

サラリと、向かい玉について触れている。

十年くらい前まで、各社の手口は、自己と委託に分かれて毎日公開されていた。あの時の仕様が良かったのか悪かったのか。

答えはまだ出ない。

【昭和四六年八月六日小豆一月限大阪三六〇円安/東京四四〇円安】