昭和の風林史(昭和四六年八月二十七日掲載分)

売り陣営粛然 憤死累々たらん

引き金は引かれた。高値更新。ぶっぱなしの場面だ。七千円抜けが見えている。売り方憤死。

「人々に更に紫苑に名残あり 虚子」

売り方の踏みに向かって大手買い方が静かに玉を合わせているから、市場は、その割りに冷静さを保っていたし、凶作という現実の割りに危機感がせまらなかった。

しかし買い方は、あくまで基本的には強気方針で、安いところは買い玉を仕込む態勢にあるから、大きく値崩れすることもないし、押したところは、すかさず拾われてしまう。

ところが〝押し目待ちに押し目なし〟と申して、そういう時は押さないものである。

押さないどころか〝待てど押さず〟と判断すれば、そこは名のあるスペシャル・スペキュレーターだ。抜く手も見せず新値を買い乗せてくる。

機を見るに敏。それが勝負師のただ一ツの財産である。今の世の中、徒手空拳で財を掴むには、投機しかない。そして激動の時代にスペキュレーションのチャンスは幾らでもある。

競馬、麻雀、チンチロリンなどの賭博にうつつを抜かして満足しているようでは情けない。たとえ小豆のピンの玉でも建てられる証拠金を貯金して、チャンスを狙う。ピン玉と軽視するなかれ二千丁幅取れば八万円あるではないか。

一枚の玉から火をつけて建て玉をふやしていけば百万円ぐらいの元手はすぐに出来るし、相場を見る目も出来よう。麻雀、チンチロリンが幾ら強かろうとお遊びにすぎぬが、相場の腕さえみがけば、失うことのない一生の財産を身につけることになる。当然経済事情にも精通しようし。

小賭博などで、たまに勝つと黄金の腕などと自慢する人も多いが、しょせん小人閑居のお遊びにすぎない。

さて、いよいよ小豆相場は七千円大台抜けの場面である。
機は熟している。そして今からでも遅くない。

相場の強さは、かつてないほどのものになっている。

大阪先限六千三百六十円。東京先限六千二百九十円。先限引き継ぎ線の高値更新は、なにをか言わん七千円吹き抜けへの幕を切って落とした瞬間である。

北海道上空には寒気団が襲来しようとしている。納会→月末→新ポ、そして九月上旬へと相場は凄さを加えよう。

●編集部注
売り方にとって相場は「魔坂」の局面に入った。
投機と投資は違う。
投資は、資本にお金を投ずるが、投機は、機会にお金を投じる。
機会にお金を投じるのだから、これは勝負事。博打と一緒であるとハッキリ言ってしまうその姿勢が、実に小気味いい。
商品先物を幾数多の小博打と一緒にするな―。この姿勢で臨んでいたら、今の業界は別ものになっていた気がする。

【昭和四六年八月二六日小豆一月限大阪三〇〇円高/東京二六〇円高】