昭和の風林史(昭和四六年八月二十五日掲載分)

見えています 八千円肉薄場面

難かしく考えることはなに一ツない。無心に買えばよいだけだ。見えている沸騰高だ。

「ちゝろ鳴く石狩川の行方知らずも 博雄」

三百円ないし五百円ほどの押し目があると見ているようだが、おそらく押さないだろうし、もし押したとしても虎視耽々と買い場を狙っている人が多い今の市場では、すかさず反騰に転じようから、押すことにより相場は弾みがつくし、押さなければ押さないで高値更新の動きにそのままつながってしまうだろう。

中共小豆の成約、また、ある取引員の経営行き詰まりによる自廃、株式暴落による担保力の縮小などの冴えない現象はあるけれど〝作柄悪〟の前には、それほど相場に影響をもたらさない。

巧者筋は、次の暴騰に備えて、少しでも押したところは、仕込みにかかっている。すでに誰しも気のついていることは、これまでの小豆相場のどの場面を見ても、一ツの決まったパターンによるサイクルが確立されていて、静かになる(閑散)→材料出現→売り方の踏み→相場上伸→買い方利食い(値を押さえる)→押し目(弱気が売る)→買い方が玉を仕込む―の繰り返しであった。

従って、閑な時に(押したところで)利食いして空になった弾丸を装填し、時期を待てば、必ず次にぶっぱなしの利食いが出来た。

八月下旬から九月上旬にかけて、極端な低温現象があらわれるであろうから、その時は、すでに作柄の回復など、もう望むべくもないだけに、一万七千円抜けに暴走してしまうわけだ。

売っている人は一万四千二百円どころの玉を持っている。その玉に追い証を入れて頑張っているが、近い将来予想されるストップ高で、必然的に踏まざるを得ないだろう。

現在、この相場が値崩れする要因は、まったく見出せないのである。

売り玉はこの際できるだけ早い目に手仕舞うべきであるが言うはやすく、損切りは嫌なものである。
またどの取引員も、お客は値ごろ観で売ってくると言う。

なぜ売るのであろうか、ここにきてまで売る人の気が知れないが、やはりそれが相場というものであろう。まあ難かしく考えないで買い玉を建てることだ。

●編集部注

 大自在天という仏教の神様の額には、「頂門眼」という三つ目の眼があって、知恵を持って、一切の事物を見る事が出来るのだという。

 ニクソンショックの激震未だ生々しき状態の中で、風林火山の額には、どうやら頂門眼を有していたようで、理路整然と未来を語っている。

【昭和四六年八月二四日小豆一月限大阪変わらず/東京四〇円安】