昭和の風林史(昭和四六年八月十一日掲載分)

売り目標値段 一万四千円割れ

眼前一杯の酒、誰か身後の名を論ぜんや。戻り場面は機械的に売るだけだ。結局は四千円割れだ。

「瞳を流る無停車駅のカンナの緋 灯志」

作柄の回復が言われる。極端な情報では平年作に近づくのではないか、とさえ言う。
産地天候を見ている限り作柄の回復は事実であろう。

新穀限月で六月21日付けた一万六千三百六十円(大阪)が抜けなかったということが、相場のすべてを物語っているように思う。

すでに産地から小豆九月積み(御祝儀商い)十月積み(早場所)の売り物が出ている。気分的に、なんとなく上値を圧迫する材料だ。

そこで相場だが、一月限の五千円割れから四千円そこそこまでの崩しは、およそ必死の成り行きと判断する。

大阪市場の値段で申せば一万五千二百四十円を先限が割ってしまうと、支えるものがなく一万四千四百円までは地すべりである。

ここで、岡地の近藤紡の売り玉が利食い手仕舞いされたりすると、そのあとの下げがまた深いと見なければなるまい。相場というものは利食いしたあとが大きいのである。

今月はまた、遅れていた中共小豆の入船が続くわけで、結構九月の需給期を控え、末端に品物がゆきわたるし、作柄の回復に伴って売りを見合わせていた産地からの旧穀の売り物が目立つようになろう。

新穀三本六千円台が売り安心、売っておけば銭になった相場が、時間の推移によってこれからは五千円台を売っておけば結構日柄経過で儲かる相場になるだろう。

人気が強い時は一万八千円目標、一万五千五百円がこの相場の底値という見方が支配していたが、所かわれば品変わり、日にち過ぎれば底下がる。天井らしからぬ天井などと、まだ未練を残している人も多いが、なあに完全な天井を構成している相場で、五月19日、六月21日、八月5日と〝三山〟の大天井である。

天井した相場は底するまで売りっぱなしでよい。相場の底は、急落、暴落、惨落、ストップ安で総悲観、総投げ、強気筋のドテン売り、出来高増大という現状がなければ〝そこがそこ〟にならない。

戻したところは売るだけである。

なあに、一万四千円割れの相場である。

直虹は朝に塁に映じ長星は夜に営に落つ。楚歌には恨曲多く、南風には死声多し、眼前一杯の酒、誰か身後の名を論ぜんや―。

●編集部注
 相場を張ると、己も気づかぬ、意外な性格の一面が出てくる時がある。
 何気ない値動きが殊更大きく見える。一喜一憂する事しばしば。耐え切れず売れば上がり、損切って買えば下がり、己の相場センスと、堪え性のなさを呪う事幾数多。
 むしろ、リアルタイムで値動きが分かり、クリックひとつで決済が出来る今のほうが、そのチキン具合が増幅されているのかもしれない。
 かの如く、泰然自若の構えを見せるのは、簡単なようで実に難しい。

【昭和四六年八月十日小豆一月限大阪一四〇円安/東京二五〇円安】