昭和の風林史(昭和四六年八月十二日掲載分)

秋風落漠たり 零落の買い支え

相場はさらに力が抜けている。趨勢に逆らっている買い方である。大勢は暴落必至なり。

「草の葉に置くや残暑の土ほこり 北枝」

東京小豆の先限が千円棒を入れたことは先行きの相場を暗示するものと思う。

これであと二市場(名・大)が五日の戻り頭から、それぞれ千円棒を叩き込むと、場面は、にわかに軟化し、もう手のつけようがなくなるだろう。

筆者は思うのであるが、現段階における相場はすでに天候や作柄に関係なく、まして買い方の力関係でもない。

相場そのものが峠を過ぎ、秋風落漠の境にあると見るのである。落日没せんと欲す■【山へんに見】山(けんざん)の西―。

史記の項羽本紀に「歌うこと幾めぐり、虞美人もこれに和す。項王、涙いくすじか下る。左右のものみな泣き、敢く仰ぎ見るものなし」とある。

力は山を抜き 気は世を蓋いしに 
時に利あらずして 騅は逝かず 
騅の逝かざるは 奈何すべき 
虞(ぐ)よ 虞よ なんじ奈何せん。

項籍の有名な垓下(がいか)の歌である。

秦の滅亡後、彼は天下を取って自ら西楚覇王と名乗ったが、力にたよりすぎ劉邦と争ってその軍に包囲された。戦況不利と見て愛馬の騅(すい)と愛妾の虞美人によびかけた絶望の詩である。

万物流転。時の流れは山をも崩す。まして相場など、山高ければ谷深く、いつまでも高水準が続くものではない。

遂には作柄の六分作まで買った相場である。

いかに、誇り高く信念の買い方であろうとも時流に逆らうわけにはいくまい。

それでもなお強気せん。我れ玉と散らん。

そこまでの悲壮感は、まだないかもしれない。だがその胸中たるや、恐らく、この闘いは重く、そして苦しいと感じているに違いない。

ただただ天運の味方せんことのみを念ずる買い方であろうことは察せられる。

だが、相場に若さがない。精気がない。買い煽っているあいだだけ強張るが手が抜けると、反落してくる。

買い主力の買い玉が、かつてないほど大きくなっているにもかかわらず、相場に勢いがつかない。

買い方は、趨勢に逆らっているのである。

しかし成り行きを眺めん。

暴落必至ならん。

●編集部註
 「記事が当たる当たらないなどは二の次です」。
 投資日報に入って間もない頃、酒宴の席上で、業界紙の重鎮に、相場記事を書く上での心得を尋ねた時に出てきた言葉だ。
 その重鎮はこう言葉を重ねる。
 「あなたも営業マンの頃、風林火山を読んだでしょう。その日の記事を肴に、あれこれと話に華が咲いた筈。あれこそが良い記事の見本です」。
 相場は不確定性に満ちている。方向など、誰にも分からない。
 そんな不確定な世界に、四面楚歌の世界が登場するような文章など、後にも先にも、風林火山以外にはなかった。改めて読み直すと、対位法的表現と言えるのではないか。

【昭和四六年八月十一日小豆一月限大阪七〇円安/東京一二〇円高】