売り場を待つ 所詮崩れる相場
前三本相手とせず。先三本売り場待ち。崩れだせば四千二百円以下のものである。静かに待つ。
「灼けし岩噴煙けぶり行きがたし 秋桜子」
嫌になってしまうような相場であるが嫌になってはいけない。主務省当局ならびに取引所当局の意向に叶って価格の安定が実現しているから、危険を負担しようと自らの意思で介入してきている投機家にしても、大なる危険の負担を強いられることがない。
くだいて申せば、売り方も買い方も損しないというまさに理想の姿であるから嫌になってしまうなどと贅沢なことを言ってはいかん。
こういう時は、それぞれの投機家は夏休みがよろしい。動かぬ相場が記入される黒板を眺めて、冷房のよく利いたオフィスで、大引けまでの時間の過ぎて行くのを耐えながら待つのも、一種の避暑方法ではあるが人間、夏にはやはり汗を流さないと体がシャンとしないもので、汗なら冷や汗でもよろしいが、手に汗する激烈な場面もなければ、只今の相場、冷や汗なども縁がないようで、ただ、セールスのみが炎天下、ご苦労さんにも背広をつけて動かぬ相場に願いを込める。
一方、投機師たちは相場が動かなくても情報の交換にいそがしい。『そうなのか、うーん、しゃないがな頑張らねば。こんなところでぶん投げてみろ、袋叩きだぞ』。『苦しい時は相手方も苦しいのだ、崩れやせんて、大丈夫だよ』―。ともすればくじけそうになる買い方の投機師グループ。一角が崩れだしたら、なだれ現象である、たがいになぐさめあう。
北海道の畠から抜いてきた一本の枯れた小豆の木を眺め、こんなに悪いのだからと自らも支えにする。
すでに一般は八、九月限には近寄らない。十月限も相手にせず―と、まるで近衛さんみたいな心境だ。近衛さんは蒋介石を相手とせずとおっしゃった。
十一、十二、一月の新穀三本。六千円乗せは売ってやろうという人が多い。
買い方は、場勘定の計算もあって、為替を取られないよう大引けにかけて相場を引っ張りあげる。だが相場の芯が下を向いているから、いかにも嫌々顔で陽線になる。熟柿落つるまで売り方は待つのである。
●編集部注
ここ東京で、自分が生まれる前のころの大阪で書かれた記事を見て、あれこれと書いている。
東京には始終どこかでこの頃の邦画が上映されている。作品云々よりもその当時の町並みを見るのは楽しい。
この記事の前月、オールスター戦で、江夏が9連続奪三振を達成した。
この記事の前週、自衛隊機と旅客機が岩手県雫石で衝突。先週「僕はやはり汽車にする」と風林火山が書いたのは、この事故のことを指す。
『ゴジラ対へドラ』が全国公開されたのは、まさにこの時期。「男はつらいよ」は、まだ10作目にも到達していない。
あの時、空にはどんな飛行機が飛び、市井の人々はどんな暮らしをしていたか。興味があればこの2本を見れば良い。上の文章と、映画のワンシーンが
交差する。
そしてこの年の8月、世界の金融市場を揺るがし、その後の歴史教科書にも載るような大事件が米国で起こる。そのリアルな反応を、これより見ていくことにしよう。
【昭和四六年八月三日小豆一月限大阪二〇〇円高/東京一五〇円高】