売る手はない 年内の大底構成
小豆は売り余地がない。むしろ絶好の買い場である。小豆商談の打ち切りが案外早そうだ。
「船あがるひとりひとりに秋の暮れ 白水郎」
週末が月末で大阪は雨が降ったものだから、自動車は走ることができない。
相場のほうは、この期におよんでストップ安である。
交易会の第二回目の小豆商談が29日から始まり30日もオファー期限のある商社が契約して、およそ六千㌧出来たことを嫌気した。
価格は天津一七八ポンド。東北一七二ポンド。唐山一七六ポンド。東北周辺一七〇ポンド。
積み期は三、四月積み。
予想していたより早い商談で、中国側の売り姿勢の積極的なことから定期市場はストップ安に売られた。
しかも会期中に第三回目の商談も期待できそうだと商社筋は見ている。
買い方は〝毛さんもう堪忍〟という顔つきだ。
これで第一回が九千㌧。第二回が六千㌧。合計一万六千㌧強の成約である。
このほか台湾、韓国産の小豆を含め、しかも第三回の商談となれば、相場にあたる影響は大きく、買い方も強がりばかりも言っておれない。
大阪穀取も東穀に続いて小豆の証拠金を十五万円に引き下げた。
業者は今までのような状態では営業が苦しい。証拠金が馬鹿高いため、小豆相場を思惑しようとする人が減ったからである。
中共小豆も入荷し、仕手的な動きも影を薄め、相場も安くなれば危機感も消えてくる。
それで相場のほうだが、新ポ登場の四月限は四等品相場になってこれが全般の足を引っ張る可能性がないでもないが、このあたりの水準で大きくもめば、また新しく需給を根底とした相場観が台頭してくるであろう。
伝えるところでは中国は品物が沢山あるから契約を急いでいるのではない。あまり多くの日本の商社押しかけたので繁雑をを避けて、売れる時に全部売ったのだ。中国国内は国連加入ニクソン会談などで政治も経済も非常に繁忙である。従ってあるだけのものを事務的に売って、あとはもう無しという小豆商談の打ち切りがあるだろうという。また東北小豆は凶作だったと、中国から帰国した人は見ていた。
●編集部注
この頃、毛さんも毛さんで大変だったのだ。
1959年に失政で事実上失脚した毛さんは、1960年代の文化大革命を機に政敵を排除、権力を奪回した。
ところがこの革命は、新たな権力闘争を生む。
林彪事件が起きたのはこの少し前。当然、西側の人間は、まだこの事件の真相を知る由もない。
【昭和四六年十月三十日小豆三月限大阪一万七四〇〇円・七〇〇円安/東京一万七四二〇円七〇〇円安】