昭和の風林史(昭和四六年十一月四日掲載分)

刀折れ矢尽き 買い陣営荒涼

買い方粛然。声もなし。ストレートの六千丁安の凄さに息をのむ。底入れ案外早いと見る。

「いへばただそれだけのこと柳散る 万太郎」

あの騰げ相場でひどい目にあった売り方にすれば、声をあげて叫びたい気持ちである。〝ざまあみろ!!〟と。

舞台は変わる。今は買い方粛然と声もない。驕る平家久しからず、槿花一朝の夢―とはこのことであろう。マレー半島を破竹の勢いで南下した山下兵団も、その末路はあわれをとどめた。

勝敗は時の運、勝ち負けは兵家の常。

三晶が踏み、山大が踏み、阿波座が踏み、そして近藤紡が踏んで二万一千円の相場をつくった。

売り方の怨みは骨髄に達している。

まさに黄梁一炊の夢となり、まず板垣が投げ、そしてM・Mも今や投げる運命下にある。相場は本当に厳しい。

さて、音をたてて崩れるこの相場は、まったく買い方陣営は暗い。

どこで止まるのか。

当面五日の在庫発表時点か一ツの急所である。

ストレートに大台を六ツも割って六千丁。こんな相場見たことない。

今となっては投げるか、あるいは時節を待って辛抱するか。迷いは深い。下値に近いことは充分に考えられるわけだが、刀折れ矢尽きんとする買い方の反撃は、制海権も制空権も売り方に握られ戦況とみに悪しの現在、組織的反攻は、およそ不可能であり竹槍ゲリラ作戦か、肉弾攻撃最後の万歳突撃ぐらいしかあるまい。ああ将軍突撃せり―の場面である。

筆者は買い方に一片の詩を呈す。

勝敗は兵家も事期せず羞(はじ)を包み恥を忍ぶは是れ男児。江東の子弟才俊多し土を巻いて重ね来たる、未だ知るべからず(烏江亭に題す杜牧)。

思う。この下げが、あの上げの反動であるならば、この下げの反動もまた充分考えられよう。

弱材料の多くは、およそ相場が言わすものである。

売り方の踏みで二万一千円相場をつくり、今買い方の投げで一万六千円割れの相場をつくる。

相場さえ落ち着けば下げ過ぎの訂正があろう。下げる時は下げるだけ下げたほうが、アク抜けも早い。日柄で整理せず値幅で整理しているだけに底入れは早いと見る。

そして凶作年の相場大底はほとんど十一月に構成していることも見逃せない。

買い玉は投げるもよし、辛抱するもよし。

●編集部注

実際の戦場と相場の違いは殲滅戦が不可能という点。相対玉なくば動けぬ。ではどう動くのか。これが明日以降の主題。

【昭和四六年十一月二日小豆四月限大阪一九〇円安/東京二三〇円安】