昭和の風林史(昭和四六年十一月十五日掲載分)

暴落列車驀進 地獄で握手しろ

完敗の買い方が未練の尾を引いて乞食買いしているうちは暴落列車は止まらないだろう。

「無理は身の毒と知れども木の葉髪 万太郎」

週末のストップ安は下半期の外割り輸入ワクが七百二十万㌦程度に増ワクされることを嫌気したものだそうである。

この相場で、明らかに〝戻しただけ悪い〟姿となった。

環境は夏が過ぎて秋が来て冬至るという自然の流れを見入るが如く、とみに買い方不利の情勢でこれだけはどうしようもない事を知る。

またどこかの誰かが大きな因果玉をぶん投げなければなるまいと思った。

これも時の流れである。確かに北海道の作柄は悪かったが、それゆえに輸入を刺激した。

衆寡敵せずという格好である。

見ていると、買い方は痛々しい。見るに忍びないものがある。買えば買うほど相場が悪くなっていくのが嫌というほど見えるのである。
だが、買わなければ気が持てない心境である。

戻しただけ悪くなって、戻した分だけ下に折れて十一月四日の安値(前週ストップ値)から、およそ千五百円下の一万四千円あたりが目に映る。

週明けもストップ安に叩かれるだろう。これだから相場は怖い。

古い映画の題名でいえば〝おれたちに明日はない〟であり〝自殺への契約書〟だ。そして〝地獄で握手しろ〟となる。

なぜこの相場が一万四千円割れという目標値に向かうのか。真夜中の暴落列車であるからだ。買い方についていた好運が逃げ去っている。世の中が変わった。踏まぬから高い相場が投げぬから安い相場になっている。今の買い方が、どれほど支えようとも大勢には勝てない。まさに蟷螂(かまきり)の斧である。

勝負師は最後が肝心である。勝てぬ相場に未練の尾を引いて、小ぎたなく乞食買いしているようでは、ちり貧ヂリ貧ちろちろ貧である。ぶん投げる時はいさぎよく頭から蒲団かぶってでも投げなければならん時がある。

買い方は完敗したのである。相場史上長く記録されるであろう痛烈な敗北である。

●編集部注
 古い映画の題名でいえば、ここまで書き連ねた文章は〝地獄に堕ちた勇者ども〟の記録という事であろう。ただ新しい映画の題名でいえば〝地獄でなぜ悪い〟という人も、結構いたかもしれない。

 勝ちは大事だが負けはもっと大事。真田幸村の最期などが良い例か。良い負けっぷりは、後世まで語り継がれる。とはいえ、なかなか出来ない。

【昭和四六年十一月十三日小豆四月限大阪七〇〇円安/東京七〇〇円安】