昭和の風林史(昭和四六年十二月十三日掲載分)

師走の大決闘 斬人斬馬の血刀

馬ふるれば馬を斬り人ふれれば人を斬る。斬人斬馬。師走の決闘場面に突入する。

「うすめても花の匂の葛湯かな 水巴」

輸入圧迫感で週末は、さらに売られて抵抗もなく崩れた。この期に及んで、という感じがしないでもない。

売り方のなすがままである。

山梨商事の霜村社長は、『わけも判らん大馬鹿どもが価格操作だ、なんだかだと騒ぐし、一委託者に対する制限はそのままだし、一店当たりの建て玉は制限したままだし、取引所の馬鹿どもは一体なんだと思っているのか。私は今から取引所に行ってくる。これではお客さんは来ませんよ。ヘッジも出来ない。単品の店はどうやっていけばいいんですか。きょうの相場は材料じゃないでうしょ。私はこんな取引所で商いをやる気は全くなくなった。店をやめてもいいんです。繊維でも生糸でも、なんでもやっていけますから。お客さんに気持ちよく相場をしてもらえるところでなければ業界は滅亡しますよ』。

山梨は十日金曜日大手の顧客が小豆を投げていた。この手はM筋とは違うようだが、建て玉制限かなにかに、ひっかかって玉の操作、たとえばナンピン買い―がスムーズにいかなくなったかして、小豆相場に嫌気してぶん投げたものかもしれない。

買い方が買えば価格操作で売り方が売り叩けば自然の相場というのもおかしい。本当に全穀連あたりには相場を知らない馬鹿共が多く、口ばかりたっしゃで飯食っているから血のにじむ相場を仕掛けている投資家は、腹立たしいことばかりである。

しかも只今目下取引所の連中は〝わいろ〟事件で青くなっている。業界はまったくなっていない。腰抜けと欲呆けばかりである。

さて相場であるが、叩き過ぎずの反動は恐らくきついだろうと思う。自然でない相場だった。

そして見ていると、かなりの投げも出て玉整理も進んだように思う。

こうなると今週の金曜の農林省発表数字が勝負である。

買い方もここにきて腹の底から闘志を燃やしている。斬人斬馬の場面へ。

●編集部注
 この頃、劇画で「子連れ狼」が連載されていた。
 水鴎流斬馬刀―。元公儀介錯人、拝一刀の同田貫による必殺技である。
 若山富三郎の映画版は72年、萬屋錦之介のテレビ版は73年まで待たなければならない。
 柳生一族の謀略で全てを失った拝一刀は、息子大五郎と共に刺客人として冥府魔道の道へと進む。
 一刀の怒りと、上記の怒りが重なって見える。

【昭和四六年十二月十一日小豆五月限大阪四一〇円安/東京二五〇円安】