昭和の風林史(昭和四六年十二月十五日掲載分)

強気に賭ける 値段はとどいた

十七日の農林省発表数字がどうでるか。これが勝負どころである。売り方は深追いできない。

古い相場金言に〝高下三割にむかえ〟というものがある。二万千円高値に対しての三割下げは六千三百円すなわち一万四千七百円地点でそれ以下の値段は買いむかうのがこの金言の憲法だ。

市場は極めて弱人気である。しかし、かなりの量の小豆が輸入されることは先刻承知で、それが年内に入ったからと騒ぐのもおかしいが相場とはそういうものだ。

買い方は見送っている。資金がないからでもない。また腰が抜けたわけでもない。

建て玉制限がなんとしても邪魔になるのと、叩くだけ叩かせて遠くから相場を見ようという心境だ。下げるのも相場。それを買い支えることは余計なシコリを作る。水の流れと相場のリズムは自然に戻る。

この一両日、かなり新規売りが見られた。もとより投げものも随分出た。値段としては下げすぎのキライさえある。何を根拠に下げ過ぎといえるかといえば年間需給量である。

弱気は一万三千五百円を目標にしている。当初弱気は一万五千五百円が目標であった。それが一万四千五百円と千円下に目標値をきり下げ、今一万三千五百円とまた下げてきたことは材料でそうなったのではなく、売り方の建て玉がその値をいわしめるのである。

売り立ての値段が低くなっている証拠だ。下げ相場を利食いしては売る。利食いしては売る。上げ相場の時に買い方がやったあれと同じことである。

ケイ線は止まるところにきている。止まれば強烈な反騰となる。

ストップで二回も三回も叩かれるいわれのない相場をストップで斬られたそのお返しのストップ高は相場に遺恨がからみつくだけにありうる。

見ていると、現在の売り方はそれほど度胸があるようには思われない。ストップ高の一発も食えば総踏み場面である。

相場つきさえ変われば攻守所を変えることは判然としている。売り方八の力が二になり、買い方二の力が八になる。

泣いても笑っても年内残り少ない。ともあれ十七日の発表が勝負である。数字の出方一つで場面は様変わりするだろう。

十七日の発表を待つところ。さて、どう出る。

●編集部注

時は元禄十五年十二月十四日―。忠臣蔵の講談は大概こう始まる。

買い方は討ち入りたい気分か。私も昔、金が800円台だった頃、売りまくりの某商社に憎悪の感情を抱いた事がある。

【昭和四六年十二月十四日小豆五月限大阪一万五〇一〇円・五二〇円高/東京一万五二四〇円・四三〇円高】