昭和の風林史(昭和四六年十月七日掲載分)

二万三千円!! 売り方断頭台上

売り方は先日の安値を一気に売り崩そうと叩いたが、逆に相場を刺激してしまった。

〔東京から六日〕五日の在庫発表の数字を見て売り方は愕然とした。あの高い値段で関東、関西両地区の中共小豆が五万四千俵も減少した。

おりから産地は大雨である。すでに青刈りした分がかなり腐敗している現状でさらに追い討ちをかけるような大雨では霜がなくとも品質低下と減収は免れない。

売り方は先日の安値で売り方を手仕舞うどころか、値を一気に崩そうと叩き込んでいるし、産地業者はザラバ(オッパー)をあの安値でまた叩いた。一万六千円の安値を売ったザラバが積み出し不可能の窮地にあるため、ザラバをザラバで叩いて値くずしにかかったものが逆に相場を刺激したのである。

十月一日の安値でおよそ(十一月積み)三百車七万俵強が売られたわけだ。しかし今の産地はこれだけの品物を積める状態にないだけに、大きなシコリというか、大不祥事件のタネを残した。

名古屋市場には一時四百枚の現物を手当てしたと伝えられる近藤紡が、現物の手当て不可能と知って場で踏みにかかったが、相場はストップ高で踏むに踏めない状況。

名古屋の売り大手丸五商事の伊藤氏も東京山梨でそれに見合っただけの買い玉を建てているが、ザラバで二十二車を産地から買ったものの、これの必着が危ぶまれているだけに、先日の一万九千二百円どころの解け合い話を流したことが悔やまれようし、あの安値でまた名古屋を売っただけに罪を深くした。

ともかく今の相場は売り方が自分で自分の首を締めているようなもので、ホクレンも産地業者もまた定期の売り方も断頭台上にあるといえよう。

相場は再び二万円大台乗せとなり、先日の高値を一気につきぬけるもようである。今となっては全道収穫四十六万俵以下の数字にしぼられ、ホクレン小袋入りなど数を少なくしても定期市場の受渡品はまさしく端境期現象となり、待たれるのは交易会での中央小豆の大量契約であるがそれとて現実に品物が入荷するのは来年になる。

まだ産地は霜と凍結の心配がつきまとう。

市場では現物の二万五千円必至説が早くも唱えられているし、取引所相場も当面二万三千円は時間の問題といえよう。

一方、手亡相場も小豆の暴走に刺激されて九千五百円どころは人気としてもつけざるをえない雲行きとなった。

●編集部注

 ついに「解け合い」の文字が出てきた。水戸黄門なら印籠、遠山の金さんなら背中に彫られた桜吹雪が出る場面である。

 物語は、既にエンディングに入っている。

【昭和四六年十月六日小豆三月限大阪七〇〇円高/東京七〇〇円高】