昭和の風林史(昭和四六年十月九日掲載分)

一将功ならず 万骨枯れ荒涼か

強弱といえば強弱。そうでないといえばそうでない。人はそれぞれ思う。人は人。我れは我れ。

「みちのくはさあれ那須野は萩みだる 湘子」

小豆は、相場でないという。そうかもしれない。これが相場だとも言う。そうかもしれない。

いろいろな問題が複雑にからみ合っている。買い方仕手筋の内部にも、もつれたものがあれば、売り方大手にも心の重いものがある。また取引所当局者にも解決の仕様のないものがある。

それでも月が沈み朝が来て時計の針が九時を指せば立ち会いが始まる。

それでよいのかもしれない。なんとかなるのである。

なんともならなくなる時もあるが、それはそれで、また、なんとかなっていく。

視野をしぼって考える。一ツの手法だ。七日朝の降霜・凍結。この問題は十一月中に答えが数字となってはっきり出るだろうし、中共小豆の問題も、いずれ具体的な答えが出る。

売り大手の十月限の玉にしても今月中に結果が出るわけだ。

十一月積に関するレール契約の解け合いも進んでいる。

そう見てくると、たいがいの問題は日時が解決してくれる。相場の値段にしても二万三千円かもしれないし、あるいは二万円中心のゆさぶりかもしれない。

残されるのは人間と人間との心の中に残された大きなシコリだけかもしれないが、これとて二、三年もすれば笑って済まされるものである。儲けた損したは勝負の常。抜け駈け、裏切り、陰謀術策即ちこれ力であり戦略である。

曹松は歌う。沢国の江山戦図に入る 生民何の計あってか樵蘇を愉しまん楽しまん 君による話すなかれ封候の事 一将功成って万骨枯る―と。

士卒草芒にまみれ将軍空しく爾(し)か為す。すなわち知る。兵なる者是れ凶器。聖人はやむを得ずしてこれを用いたるを―古来唯見る白骨黄砂の田。秦家の城を築いてえびすに備う処、漢家また烽火の燃ゆるあり。烽火燃えてやまず。征戦やむ時なし。野戦格闘して死す。敗馬号鳴天に向って悲しむ―

(城南に戦うより李白)

●編集部註

 囲碁の世界には「天元」という打ち方がある。

 碁盤の中央に初手を放つこの手法は、江戸の渋川春海が御城碁で用いた事で後年知られる。

 この人物、現在は棋士ではなく、天文学者として有名。その活躍は「天地明察」という小説にもなり、映画にもなった。 碁盤が宇宙なら、天元は北極星と彼は見た。北極星は動かず、その周囲を無数の星が動いていく。

 罫線が宇宙なら、十月七日の陰線は、窓埋めず下げれば北極星となる。

【昭和四六年十月八日小豆三月限大阪四二〇円安/東京三四〇円安】