流れ流れて… 落ちゆく先は…
いいのである。安くても。また反発しても。相場はなるようになる。気にすると抜け毛がふえる。
「どの道も秋の夜白し草の中 水巴」
辛抱する木に花が咲く。流れた嬶に未練を残さず。男は黙って小豆を買う。反発するときゃ反発するさ。勝負は時の運、勝ち負け兵家の常なり。
言うことなしである。『こんなところで強気を通したら曲がっちゃうぞ』と親切な人が教えてくれる。もうおそいわい。曲がってしまったあとじゃないか。なんでいまから弱気になれよう。
入質中の嬶が追証で流れそうだ。どうしてくれる―という。冗談じゃないよ人様の嬶にかまっちゃおれない。流れた時は流れた時だ。利根の河原の一本蓬、流れ流れて花咲いたという歌がある。湧いて流れる草津の湯さえ、別れ惜しさに霧となる。
わが買い玉は遥か雲の彼方なり。本当にそうなっちゃたね。どうすりゃいいんだ。
小豆の買い方は頭をかかえていた。引くに引かれぬ意地の道、止めてくれるな名がすたる、いやな渡世の一筋に、辛い別離がなぜ出来ぬ。嫁と呼ばれてまだ三月、ほんに儚い夢のあと、行かせともなや荒神山へ、行けば野分けの涙雨―。
仕方がないさ頑張らなければ。来るか時節が時節は来ずに、今朝も脱け毛が数を増す。千丁二千丁にまげない意地も、人情からめば弱くなる。
一杯やるか―という。一杯やったとて、下がる相場が上がりゃせぬ。夢をなくした奈落の底で、なにをあえぐか影法師。赤と黒とのドレスの渦にナイトクラブの夜は更ける。
東海林太郎が歌っていた。明日に望みがないではないが、頼み少ないただ一人、赤い夕日も身につまされて泣くが無理かよ渡り鳥。行方知らないさすらい暮し、空も灰色また吹雪、想いばかりがただただ燃えて君と逢うのはいつの日ぞ。
筆者の好きな歌は走れトロイカである。走れトロイカもう日が暮れる、空に高鳴れ朱総の鞭よ、遠い町にはちらほら灯り鐘がなります中空で。
走れトロイカ心が燃える、空に高鳴れ朱総の鞭よ、来るか来るかとペチカを焚いてさぞやあの人待つだろに。
風林が焼けたら相場も反騰するだろうよ。
●編集部注
人間とは、矛盾を抱えた存在である。
この一カ月前、丁寧かつ繊細にロジックを積み上げ、簡潔かつ明快な答えを出す数学者の如き人物がこの上で書いていた。
同一人物とは思えぬ。
そこが、風林火山が長年愛されてきた理由なのかもしれない。
悲劇を語るは簡単。ただ素人が語ると陰惨になる。
芸ある人が語ると、それは喜劇にもなる。
【昭和四六年十月二七日小豆三月限大阪一万七七五〇円・一三〇円高/東京一万七八九〇円・一九〇円高】