昭和の風林史(昭和四六年十月八日掲載分)

さらに大きい 売り方がつくる

小豆相場は売り方が大きくしている。結局は二万三千円まで一本道である。手亡も九千五百円か。

「かれ朶に烏のとまりけり秋の暮 芭蕉」

雨で叩かれた畠に七日朝は霜が降りて、帯広の小豆や手亡は、さんざんである。相場は急騰して売り方は頭をかかえる。

いうなら今の小豆は売り方が大きくしているようなものである。

山大商事の杉山社長は『大阪の穀取の指導的立場にある人が、本来なら率先して降りるべきを、ああいうことをしちゃ駄目だな』と洩らしていた。

名古屋江口で大量売り建てして、先日の安値でさらに売り叩こうとした丸五商事の伊藤氏は、東京市場で山梨を通じ、またまた買い玉をふやそうとして、すくなくとも協会長としての要職にあるべき人の立場をわきまえない行為だ―と東京市場では非常に評判がよくない。

たしかにそうであろう。取引員は小豆の取り引きについて顧客筋に自粛してくれるよう、たえず呼びかけている。建て玉も減らすべく常に努力している。その非常時にもかかわらず、協会長たる者がわが相場思惑に熱くなり、自粛すべきところを逆に売り崩そうとしたり、両建て玉の買い玉をふやそうとしてみたり、杉山重光氏でなくとも〝なんだいあの協会長は〟ということになる。

伊藤氏は先日(十月四日・月曜)筆者に、つくづくと協会長を辞退したいと言っていた。筆者は、そのほうがよいと思った。相場師としての道を進むか、それとも相場から遠ざかって、業界の指導者として、常に厳正中立の立場をとるべきか、今の伊藤氏は、大相場師であり、また協会長であり、市場管理委員であり、その使いわけが非常に難かしい。もとより穀物市場が危急存亡の瀬戸ぎわになければ、非難も受けずに済むことであろうが、伊藤氏もその心中、思うことが多いかと推察するのである。

さて、小豆の相場のほうは一本道である。結局は二万三千円という値段もつくことであろう。あの高値にもかかわらず消費が伸びたことが相場を大きくした。

筆者はこの原稿を書いたらすぐ阿竹寿夫氏(脇田米穀専務)の厳父のお通夜(八日伊勢市で葬儀)参列するために伊勢に行く。

【昭和四六年十月七日小豆三月限大阪四〇〇円高/東京二〇〇円高】