豆屋に非ずんば

何里ほど我が目のうちぞ雲の峰・千代女。
旧道や人も通らず草茂る・子規。
うとうとと生死の外や日向ぼこ 鬼城。
日当たりのよい縁側に布団を干してある。その上に、ゴロリと横になる。近所のどこかの庭に、植木屋が来ている。鋏(はさみ)の音が心地よい。
晩に食べるものも、明朝に食べるものも、なにも準備していない。
冷蔵庫にチーズが少し残っていたはず。クラッカーでもあればかじる。無ければインスタントコーヒーを淹れる。
ヘルパーさんが、近くのスーパーでおでんを買ってきた。おでんは大根である。こんにゃく、牛蒡天とか、竹輪、がんもどき、厚揚げといった具の多いおでんはうれしい。
会社のお昼は、寒くなってくると、鍋に湯を沸かして、へろへろの雲呑(わんたん)をつくってもらう。それともフライパンで餃子にするか。
東京の人形町、大正時代の建物のすき焼き屋は畳の色が茶色になっていた。日野草城の句に「すき焼や山頭翁の額ばかり」。
下関の外国航路の貨物船がすぐ横を通る、てっさ・てっちりの店に招待された。
博多芸者は、馬族芸者と言われていた。お客の財布を取り上げてしまう。川筋の石炭景気に浮いた頃の話だ。
「さぞや、お月さんけむたかろう」。
いまの博多も、下関も、昔のような元気はないのだろうか。
下関も、博多も活況を呈していた頃は、商取業界も黄金時代であった。
『豆屋文化』といって、小豆の取引員が博多の夜を席巻していた。豆屋に非ずんば、取引員に非ず。有力仕手も輩出していた。